日前神宮 國懸神宮 
   ひのくまじんぐう  くにかかすじんぐう       
〒640-8322 
和歌山市秋月365
TEL/073-471-3730 FAX/073-474-3869
 
由緒

 
神社由緒   

御由緒
創建二千六百餘年を溯る日前神宮・國懸神宮は、同一境内に座します二社の大社をなしております。 日前神宮は日像鏡(ひがたのかがみ)を御神体として日前大神を奉祀し國懸神宮は日矛鏡(ひぼこのかがみ)を御神体として國懸大神を奉祀しております。 神代、天照大御神が天の岩窟に御隠れになられた際、思兼命(おもいかねのみこと)の議(はかりごと)に従い種種の供物を供え、天照大御神の御心を慰め和んで頂くため、石凝姥命(いしこりどめのみこと)を治工とし、天香山(あめのかぐやま)から採取した銅を用いて天照大御神の御鏡(みかがみ)を鋳造しました。 その初度に鋳造された天照大御神の御鏡前霊(さきみたま)を日前國懸両神宮の御神体として、後に鋳造された御鏡を伊勢の神宮の御神体として奉祀されたと『日本書紀』に記されております。 天孫降臨の際、三種の神器とともに両神宮の御神体も副えられ、神武天皇東征の後、紀伊國造家の肇祖に当たる天道根命(あめのみちねのみこと)を紀伊國造(きいのくにのみやつこ)に任命し、二つの神鏡を以て紀伊國名草郡毛見郷の地に奉祀せられたのが当宮の起源とされています。 その後、崇神天皇五十一年、名草郡濱ノ宮に遷宮され、垂仁天皇十六年には名草郡萬代宮すなわち現在の場所に遷幸され、永きに渉り鎮座の地として今に至っております。 爾来、天道根命の末裔である紀氏(きいし)によって歴代奉祀され、両神宮の祭神が三種の神器に次ぐ宝鏡とされたために、伊勢の神宮に次いで朝廷からの崇敬も篤く、延喜の制には両社とも明神大社に列し、祈年(としごい)、月次(つきなみ)、相嘗(あいなめ)、新嘗(にいなめ)の祭祀には天皇から幣帛(御供)を賜るほどでありました。 また古くから紀伊國一之宮として一般の人々からも崇敬をあつめ、両神宮の総称を「日前宮」(にちぜんぐう)とし、親しみをもって呼ばれています。 戦国時代におきましては、豊臣秀吉の天正の兵乱により境内荒廃、社領没収の憂き目に逢いましたが、徳川の時代に入り紀州藩初代藩主、徳川頼宣(とくがわよりのぶ)が入国されるや社殿を再興され、明治四年太政官布告による神格の制が治定されると、官幣大社(かんぺいたいしゃ)に列し、敬神崇祖の大義を示すことと相成りました。 大正八年の国費による境内建物すべての改善工事によって旧観は一新され、大正十五年三月の完成をもって現在の姿となっております。

御祭神
日前神宮
日前大神(ひのくまのおおかみ)相殿:思兼命(おもいかねのみこと)石凝姥命(いしこりどめのみこと)

國懸神宮
國懸大神(くにかかすのおおかみ)相殿玉祖命(たまおやのみこと)明立天御影命(あけたつあめのみかげのみこと)
鈿女命(うづめのみこと)



現地調査報告   



現地調査日 平成 年 月 日
平成 年 月 日作成 皇學館大学神道学科

  
  
  
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