與喜天満神社 
       
〒 633-0112
奈良県桜井市初瀬1番地
tel:0744-55-2300
fax:0744-55-1709
 
由緒

 
神社由緒   

菅原道真公を祭る日本最古天神
 長谷寺門前町を歩むと、正面に赤い鳥居の立つ緑濃い常緑樹の山容が、大きな存在感をもって参詣者を迎えてくれます。  このお山が現在、国の天然記念物に指定されている與喜山で、その中腹に鎮座されているのが、学問の神として知られる菅原道真公をご祭神とする與喜天満神社です。
 菅原道具公のご先祖・野見宿禰は、ここ初潮の出雲のご出身で、初めは土師氏と称しました。道真公にとって初瀬は遠祖からのふるさとだったのです。  朝廷から学者として信任され、道真公は右大臣まで累進しましたが、太宰府に左遷されて已くなりました。  しかし、道真公は現世では不幸な人生を閉じられましたが、生前のご功績とその至誠のこころから人々に敬われ、ついに神となられました。  当社はわが国最古の天神信仰のお宮です。ことに入試合格・学業成就には霊験あらたかといわれています。

良き地「吉のお宮」
寛平の頃(890年頃)、一人の樵夫か宍、喜山で什事をしていたとき、彼の小屋に誰かが「これを祭れ」といって何かを投げました。 そこには木隙が落ちていました。樵夫はその頃、長谷寺に菅原道真公が参詣に来られていたので、像は公の御作として、大切にお祭りしました。 その像が神社に現存する木像神像と伝えられています。
 また、この初瀬の里に神殿太夫武麿という修行を積んだ高徳の人がいました。 大慶9年(946)の10月18目、ふしぎなことにこの武麿の自宅の前の石の上に高貴な翁が座っていました(現在の切石御旅所の地)。翁が長谷寺へ参詣に向かうと武麿もついていきました。 翁は川で政ぎ(現在の中の橋詰め御旅所の地)をされ、瀧倉権現社に参られました。すると急に黒雲が面いてきてその翁を包み、 翁は立派な装束姿となり「私は右大|帽Eニ位天菊天神菅原道真」と名乗り、「私はこの良き山に神となって鎮座しよう」と沓って言葉の通り神鏡まりました。 これが奥喜天満神社のはじまりです。阿喜の神社号は、瀧資格。現が迫真公に「良き地」だとおっしゃったことから起こりました。 「吉のお宮」と呼ばれるゆえんです。天暦2年(948) 7肌武麿は社殿を建在、しました。これが輿喜天満神社の創祀です。

女性神の信仰
輿喜山は、古くは大泊瀬|||と呼ばれ古代大和の国では最初に太陽の昇る神聖な山としてあがめられました。 『万葉集』では初瀬(長谷)にかかる枕詞「隠り国(こもりく)」―山に囲まれているような地―は、この自然のお姿から生まれたのです。 万物の生命のみなもとである太陽と、母なる慈愛を神としてあがめたのか天照という女性神で、菅原選真公も「当山は是天照大神隠蟄の地、諸神冥道の守護の砌なり。 鳥居を立て以って神明を崇めば、山内清澄なるべし」と記しておられます。現在の本殿の向かって左に古代信仰のままに磐座(鵝形石)に祭られているのが天照大神で、女性の守護神として信仰されています。 またその後方の鍋倉山には、延喜式式内社の鍋倉神社が磐座に祭られています。ご祭神は大倉姫神、別名・下照姫と申し上げ、『古事記』の世界では大国主命の娘で、その美しさは衣を通して地を照らすほどであったといいます。 当山には女性神の信仰が古代から息づいています。

『源氏物語』と玉蔓のいわれ
源氏の恋人の夕顔の遺児だった玉蔓は、筑紫の国で美しく成長し、京に上りまLた。その秋、霊験を頼んで長谷寺に参詣したとき、偶然にも右近に再会Lたのです。 実は右近も玉蔓に会いたいために、たびたび初瀬詣をしていたのでありました。二人は喜ぴを歌に託して詠み交わLました。
  二本の杉の立ちどを尋ぬれぱ古川野辺に君'をみましや(右近)
  初瀬川はやくのことは知Iらねども今日の逢ふ瀕に身さへ流れぬ(玉蔓)
  右近のうたった古川野辺は、連歌橋の架かっている付近の初瀬川をいいます。

連歌と能楽―日本文化の源郷−
 長谷寺から、輿喜天満神社の境内にいたる途中、初瀬川(古河野辺)に架かる朱塗りの橋かあります。  これが「連歌橋」で、当神社にて連歌をおこなう人々か渡ったので、その名が呼ばれるようになりまLた。鎌倉時代の末頃から当社では、「天神講連歌会」と呼ばれるほど連歌か盛んで、  わが国の文学史に残るものでした。連歌のバイブルともいわれる連歌撰集 「竹林抄」(宗祇篇・文明8年く1476〉成立)にも、「初瀬にますは輿喜の神垣」という句が所収されているほどです。  また中世芸術を代表する芸能・能楽も、また当社と深いかかわりがあったのです。能楽師の金春禅竹はその著書「明宿集」に、自分たちの祖先・秦河勝が初瀬川の河上から流れてきた壷の伝承を記し、  また、輿喜天満神社の神主が、昔、泊瀬輿喜の宮のあいます大夫、神慮奇特の人なりしが、その歌に云「泊瀬山谷の埋もれ木朽ちずしてこん春にこそ花は咲きつげ」(『明宿集』より)と、  神秘的な和歌を詠んだことが記されています。当社は能楽の発祥の一つの聖地と考えられているのです。当社は古代から中世こいたる、文化の源郷なのです。

鎮座地
奈良県桜井市初瀬1番地 輿喜山(大泊瀬山・天神山・三燈峰)

御祭神
《主》菅原道真公《》天照大神 大倉姫神(延喜式式内社・鍋倉神社)

御神徳
入試合格・学業成就・大吉福運・子育て・女性守護・えんむすぴ良縁

摂社
白太夫社(子授けの神)
  ご祭神:度会春彦翁(伊勢豊受大神宮青年神官)
榴葉社(音楽・芸術の守護神、喉の病気平癒)
  ご祭神:天照大神・伊予親玉(桓武天皇第3皇子)
八王子社(家内安全、諸願成就)
  ご祭神:天照大神と素盞鳴尊との誓託により誕生された八柱の神
瀧蔵権現三社(家内安全、諸願成就)
  ご祭神:速玉命・伊弉諾尊・伊弉冉尊

別社
豊秋津姫神社(家内安全、諸願成就)
  ご祭神:豊秋津姫命

境内
本殿    文化15年(1818) 長谷寺第39世能化・唯阿大僧正が改築。
菅明院跡 境内すぐ隣に長谷寺智明院があり、長谷寺能化大僧正を招き連歌の会を催した。
磐座    3つの岩で「天の岩戸」を表す。
 鵝形石:がぎょういし(天照大神)・掌石:たなごころ(太玉命)・沓形石:くつがたいし(天児屋根命)。

主な年中行事
1月1日 元旦祭  2月第3日曜日 祈年祭  2月25日 菅公祭  5月9日 松浦武四郎翁祭(五月雨祭)  6月30日 大祓式(夏越し)  10月第3土曜日 大祭宵宮祭  10月第3日曜日 大祭(初瀬まつり)  11月第3日曜日 新嘗祭 12月31日 大祓式(年越し) 除夜祭

文化財
国指定天然記念物 輿喜山暖帯林
市指定天然記念物 切石御旅所の紅梅(江戸時代、樹齢300年以上)
重要文化財   日本最古の木造天神坐像(鎌倉時代)
     正元元年{1259}、彩色、像高94.9cm。
     力強い眼光と大きく結んだ口元 が強烈な印象を与える天神坐像で、
     袖、袴を着用、巾子冠を被り、手に は盲を構え、腰には太刀を祉く。
     頚部には、直径約19ra、重さ約770g、
     鏡面に彩色十一面観音立像を刻む六花形の銅鏡がはめ込まれていた。
市指定文化財  木造天神坐像(江戸時代)
市指定文化財  木造神像6体(平安〜鎌倉時代)
市指定文化財  鉄湯釜(江戸時代)
市指定文化財  本殿1棟附棟札1枚(江戸時代)
その他       八角神輿(徳川家光寄進、江戸時代)
           手水鉢(徳川家光寄進、江戸時代)



素盞雄神社  
  
  
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