倭姫宮 
  やまとひめのみや       
〒516-0014
三重県伊勢市楠部町字赤井谷5
TEL
 
由緒
神社由緒   

御由緒
当宮は、格別に新しい由緒の別宮です。大きなご功績をお遺しになった倭姫命ですが、長く命をお祭りするお宮はありませんでした。 江戸中期の外官権禰宜喜早清在の『毎事問』に、神郡数万の人民は家々に倭姫命をお祭りして、その神恩に感謝するのは当然であると書かれています。 古くから、郷土をお柘きになった命への地元の人々の敬慕は篤く、信仰されてきました。 そこで、命の御徳をお慕いして、大正初年から、神宮司庁と宇治山田市(現伊勢市)が命をお祭りするお宮の創立を国に請願し、大正十年(一九二一)皇大神宮別宮として当宮の創立が許可され、 同十二年十一月五日御鎖座祭が執り行われました。  昭和二十三年(一九四八)には「御杖代講」が結成され、現在は「倭姫命御杖代奉賛会」として、五月五日には春の例大祭、十一月五日には秋の例大祭が執り行われています。

御祭神
倭姫命
第十一代垂仁天皇の皇女で、約二千年前、天照大神の御神教を受けて、五十鈴川のほとり、現在の場所に皇大神宮をご創建なさいました。 神嘗祭(正しくはカンナメのまつり)をはじめとする年中のお祭りや神田ほか各種の御料地などをお定めになり、斎戒や祓の法をお示しになるなど、神官のお祭りと経営の規模を確立されました。 その後、代々の天皇は未婚の皇女を伊勢に遣わし、皇大神宮に奉仕させられました。
このお方を斎王(斎宮または斎内親王)と申し上げます。


倭姫宮由緒書より

現地調査報告   



現地調査日 平成 年 月 日
平成 年 月 日作成 皇學館大学神道学科

  
  
  
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