御由緒 皇大神宮 摂社 皇大神宮末社の新川神社(新川比売命)、石井神社(高水上命)が御同座で、宇治橋から直線上のタクシーロータリーとなっている場所の裏手にある饗土橋姫神社の北側にあります。 垂仁天皇のころ、倭姫命は五十鈴川の船着場、津長原といふ所に降り立ち、津長原の地名が津長社となりました。 中世に一度荒廃しますが、寛文3年に当時の大宮司河邉精長が『倭姫命世記』に基づき、現在の社地付近を当時の河原と比定して復興しました。 御祭神 栖長比賣命(大水上神の御子で水の神)