御由緒 地方開発の宗神にして、諏訪郷、市場郷、新田郷の総鎮守なり、
此地は昔鎌倉街道志賀須香の渡しと云い、東西交通の要衝にして地名を諏訪と称する事祭神と縁由深き所なりと云う。
往昔の社地は今の郷中に在りて明治初年まで其旧地を元神と称した。
領主本多重次の崇敬厚く度々参拝して幣帛を奉り武運を祈願した。
明治5年1月村社に列せられ氏子60戸を有せしが、大正4年神社合併の事ありてより、新田郷、市場郷は八幡社の氏子となりたるにより、諏訪郷1郷23戸の氏子となった。
然れ共敬神思想益々向上して拝殿、祝詞殿、社務所等を新築した。
大正10年10月神饌幣帛供進神社に指定された。
境内は周囲文餘の松樹森立して祠宇を擁して頗る神々しい社であった。
(昭和3.11.20発行碧海郡矢作町誌より)
平成9年4月より、主要地方道岡崎刈谷線の改修工事に依、り神社境内地全域が収用の為め、この地に新宮造営移転した。
御祭神 建御名方命 保食神
|