御由緒 当神社の創立年代は詳かではないが古老の口、
碑等によると度重なる堰堤の決壊と水漏れに悩まされた住民が五穀豊穣、
雨乞の神として名高い美濃の国(岐阜県美濃市)の洲原神社の分社としてこの地に明暦元年頃(1655年)創立したのが始まりといわれている。
一方往時の社坊井谷山見性寺の寺記等によって案ずるに見性禅寺開山の師華厳曹海和尚が加賀の国白山比盗_社及び美濃の国洲原神社を
特別崇拝して度々参詣していたという。更に井ヶ谷洲原の山容が、美濃の国洲原神社によく似ている上両社共奉祀の御祭神が同神なることを
以ってこの井ヶ谷の地に産土社として洲原の神を勧請し奉ったもので、正徳宝暦の頃には領主所領の関係上村内を上組、下組の二つに分かち下組を
以って当神社の氏子としたが明治初年に旧に復し尓来井ヶ谷の郷の鎮守として今日に及んでいる。 当今、洲原公園の名将地と共に五穀豊穣、
縁結び、安産の守護神として広く世に知られ老若男女の信仰厚く常に参拝者が絶えない。明治8年村社に列し同40年神饌、
幣帛料供進社に指定せられ昭和20年、時代の変革によって宗教法人として現在に至る。
御祭神 菊理比当ス 咥子命 大巳貴命 大日?命 軻遇突智命
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