御由緒 勧請は不祥であるが、伝承によると正平9(1354)年のころ、
武内宿祢の末裔である南朝の遺臣が、この地に居を定めて開拓をはじめ、先住の里人と語り合い、八幡大菩薩、伊勢大明神、春日大明神を祀って鎮守の杜としたという。
古記録には、元禄17(1704)年、八幡本社三社立、竪9尺横6尺5寸板莚付とあり境内は東西南北各々65間馬場は2間に60間とある。
境築地は9間に13間この内に若宮八幡小社と白山社があり、舞屋は横2間竪3間藁莚付の拝殿の事、鳥居は石の八幡鳥居で竪横9尺高さ2間余云々とある。
また文化10(1813)年に八幡宮本殿を再興 万延元年(1860)年に棟替えをするなど厚く尊崇し、ご領主の参拝も屡々あったと伝えられる。
現存する寄進の石灯篭に、八幡大菩薩寛文10(1670)年とあることや、八幡宮と書かれた鳥居額に元禄11(1698)年と、
記してあることなどから、以前は八幡宮であったと頷ける。
明治4年5月太政官布告に基づいて神明社と改称し、明治40年10月26日、村社に指定される。
その後宗教法人令に依り、昭和27年12月25日宗教法人神明社となる。このたびの再建造営を機に、社格は9級に昇格する。
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造営記念碑
当神明社は正平9(1354)年に勧請され、6世紀有余年に亘り氏子崇敬の中心となって尊崇されて来た。
以前は八幡社であったが明治初年神明社と改称され、爾来明治15年拝殿再建、同29年神明社屋根替、同33年華表上棟式斎行、昭和9年本殿再建、
同11年祭文殿、同21年透塀などが再建された。また昭和26年4月には打越神社創立造営を致すなど氏子先人により護持継承されて来たものである。
時代の変遷とともに尊厳なる景観と近代的な社殿境内の整備などの念いよいよ昴まり、氏子の総意を以って昭和61年7月委員会を設置し、
鳩首協議を重ねて11月11日地鎮祭、昭和62年4月19日上棟祭、11月21日には新殿祭及び遷座祭、翌22日奉祝祭を斎行した。
ここに神域の一新を見るに至り、慶び又一入なり。
此の度の再建造営に当たりては崇敬氏子大方の尊いご奉仕ご協賛と、工事施工の各位に深甚なる謝意を表するものである。
竣工奉祝の佳き日に当たり感激を新たに益々敬神の念を深め、造営経緯を後世に伝えんとして建碑する。
昭和62年11月22日 神明社造営委員会
御祭神 《主》天照大日?尊 《配》誉田別尊,天児屋根命
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