御由緒
当神明宮の創建は、霊元天皇の寛文11年(1671)で徳川幕府4代将軍家綱の時代です。当時の中根村は、刈谷城主稲垣信濃守重詳の所領で戸数わずか10戸あまりでしたが、
領主の格別な思し召しを奉じて、領内の五穀豊穣と無事平安を祈願する産土(うぶすな)神として、神明宮をこの地に勧請しました。
延宝4年(1676)刈谷城主稲垣淡路守重氏は、当神明宮への信仰極めて厚く、石灯籠1基を寄進され、朝夕当神社を遥拝されるなど、
領主の氏神様の如く尊崇されました。当神社の祭典では「猩猩(じょうじょう)酒を好む想像上の霊獣」の像をかぶり、これに御酒を持たせて参拝させる行事は、
領内の大酒造家山本勘右衛門が毎年製造中の優酒を神前に奉献したことに始まり、淡路守も御参拝のおり山本家に1宿、主人よりその由を聞いて大いに感嘆せられ、
自ら猩猩の衣装を寄付されたと伝えられております。
こうして当神明宮は、領主の崇祀により領内すべて氏子崇敬者の有様でしたが、稲垣家転退後は中根村のみの氏神となり、明治5年村社に確定し、
昭和2年神饌幣帛料共進神社に指定されました。
創建以来、常に氏子崇敬者の赤誠と奉賛によって社殿の造営修理が行われ、毎年の祭典行事も厳粛盛大に奉斎されております。
御祭神
《主》大日女貴命
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