御由緒
当社の創立は大宝元年(701)8月13日、豊前国宇佐の宮から勧請した。 当時の人々は創立鎮座の年月を記念して通常祭事を執行する他、必ず古式の神事を行う例を残した。
その後当社に災いがあり、伝来の旧記悉く烏有に帰しその行事の例のみ残ったが、戦乱の世に及んで古儀古式は紊乱してしまった。 明治43年には塩釜神社、八柱神社、海神社、恵美須宮を合祀した。
当社は味野(井戸、橋本、城、本村)・赤崎・阿津・大畠・田之浦の氏神様であり、新庄(元は新荘)の名は、本荘(宇野津・塩生・通生・下津井・吹上・菰池)に対しての新庄(味野・赤崎・阿津・大畠・田之浦)をいう。
本荘と新庄に分かれたのは平安時代末期と考えられている。 正面参道石段を登りきったところの左右にある石灯籠は、土地の豪族で大庄屋であった富田屋(洲脇氏)が、宝暦9年(1759)に寄進したものである。
参道中程にある〆柱は大庄屋であり、近郊の塩田を開発した野崎武左衛門(1789〜1864)の孫、武吉郎(貴族院議員1848〜1925)が明治36年に奉納したものである。
(碑文は厳谷修書) 新庄八幡宮の鎮座する山は海抜60m程の小さな山であるが、「赤崎新庄八幡宮遺跡」に指定されており弥生時代中期の壺が発掘された。
本殿は入母屋平入千鳥破風、向拝唐破風、銅板葺き 14平方メートル、平成3年に大修理された。
拝殿は、入母屋平入千鳥破風、向拝唐破風、銅板葺き 93平方メートル、同年の改築による。
御祭神
品陀和氣命 足仲彦命 息長帶比賣命
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