御由緒
一、創立年代不明
一、弘治2年酉辰3月15日社殿消失直に仮遷宮
一、社殿再建天正3年乙亥8月當時名主治郎衛右門社守六太夫尓後敷岡再建す
一、文徳實録巻之三 文徳天皇仁壽元年10月乙巳参河國野見神授位従五位下
一、参河國内神明帳 正五位野見天神式内座賀茂郡
一、参河國官社私考略 賀茂郡7座野見神社能見村に在す今称白山
一、大正9年10月會計法適用神社併に神饌幣帛料共進□□神社に編入せらる
一、大正11年9月7日例祭日変更せり 陰暦8月18日変更賜陽暦9月8日又変更9月26日
御由緒2
国道153号線、足助町より5000米程行くと旭町へ抜ける県道があります。山間いの道を更に1000米程行くと榊野
(能見村)です。阿摺川に沿って川下に行くと、榊野温泉の外れ、道路北側山腹に、野見神社は鎮座します。中世には「白山社」江戸時代には「能見山天王社」
と呼ばれていました。
祭神は天夷鳥命とされています。天夷鳥命は、天之菩卑能命(日本書紀では天穂日命)、この菩卑能命は、天の安の河原で天照大神と須佐之男命が誓約をした時、
大神の右の角髪にかけられた珠から化生した神で、この神は国譲りの交渉役に選ばれて出雲の大国主神の許へ行きましたが、
大国主神に心服して3年も帰らなかったとされる神です。天夷鳥命はこの天菩卑能命の子とされています。「夷」は辺鄙なところの意で、
山深い辺鄙なところを開拓した神ということで、出雲の国造の裔がこの地に来て、この里を開拓し、祖神を祀ったものでしょう。
なお、天穂日命は土師氏の遠祖とされます。祭神をたどれば、土師氏との関係もあるかもしれませんが、土器製造の跡や伝承もなく、また、古窯跡や古墳も見当たりません。
以上の点から古社ではありますが、式内野見神社とする手がかりは見当たりません。
『愛知の式内社とその周辺』(小林春夫著、式内社顕彰会、平成13年5月)214頁より
御祭神 《主》天夷鳥命
|