御由緒
隣松寺熊野神社は、隣松寺の鎮守として素戔嗚命を奉祀され、民和して端恵屋外に洩るると言う語の如く、千古の杉苑の中に、
木の香も新しき社殿、誰しもが此の郷に入って古悠さと、豊かさを感ずる古邑隣松寺の鎮守として寺領の一角に奉斎されたのが現在の
能野神社であった。 其の鎮座の時代に就ては明らかならざれども、かつて保元の乱に依って敗走した七郎正持が岡崎箱柳の地に熊野神社を創祀し此の地に、
永田・中根両氏が根拠地として住居し崇敬された。これが此の地方熊野神社の創始として寛政譜に載って居る事。又此の地方熊野神領の有ったことなどから押して
平安後期頃に祭祀された様に思われる。
幕末迄は凡て寺で祭事を行って居たが明治初年、神仏分離の令に依って隣松寺村の氏神として祭事が行われて居る。永禄年間(1558〜1569)の旧社殿は、
松平広忠公の寄進のものと言われ、其の後拝殿の改築に就いては永年企図されて居たが、ようやく機運熟し、
昭和25年に工を起し同26年春完成を見るに至った。かつて寺領と寺権とを恣にして、彼の信仰の松平をして帰依、願望の道場となし天下信仰を比の一山に集め晨鐘、
タ鐘、常に絶ゆることのなかった古邑、隣松寺の往時を懐古する時、葺堂、碧甍、歴史の前に立って、頭を回らせば誰か今昔の感なからんや。
『上郷風土記』(上郷地区コミュニティ会議 上郷風土記編集委員会、昭和63年3月)70、71頁より
御祭神 《合》天照大神,豊受大神,素盞嗚命,火産霊命,《主》祭神不詳
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