御由緒
『儀式帳』は当社の鎮座について「同内親王定祝」と記し、倭姫命によって奉祀されたと伝へる。
『倭姫命世記』は、「荒前姫參相。國名問給。白。皇太神御前荒崎白。恐詔。神前者定給」とあって、
倭姫命が五十鈴川の河口に江社を定められた後、荒綺の荒前姫が國名を申し上げ、当社が奉祀されたとする。
かうした伝承は、当地と神宮との結び付きの深さを語る本縁ではあるが、これには二つの面から考へることが出来よう。
即ち、一つは地理的な点であり、もう一つは神宮の祭儀との関係である。
前者にっいては、古代より通行の難所を、荒ぶる神の仕業としてその神を祀る事例は多く見いだされる。
さうした信仰形態の流れにおいて神前柿他の奉祀を位置づけることが可能である。
『式内社調査報告』より引用
御祭神
荒前比賣命
国生神の御子。末社の許母利神社(御祭神は粟嶋神御魂)・荒前神社(荒前比賣命)も御同座。
|