御由緒
笠山三宝荒神は9万8千8百8躰の眷属と倶に、3000年の昔より笠山の鷲ヶ峯に奉祀て、七袖七谷の峯谷を神躰山として、人々は入山する事なく、
千古の昔より丈余大木生い繁り三宝荒神の霊神は鷲ヶの峯より大和平野を見おろし、初瀬の川より天理の布留川に至る笠山のすそ野なる、
山之辺の道に散在する社寺の三宝を守る神、すなわち奥之院として栄える。大和の神社、佛閣は三宝の守り神として崇拝し、聖徳大師を初め奈良東大寺初代管長良弁僧正。
中国の高僧善無畏三蔵、高野山を開いた弘法大師、興正菩薩、照海大徳、尊海大徳、高海大徳、尊信大和上、秀繁大徳、高繁本徳、尊弘大徳、宝真大徳、英岳大徳、尊雅上人、
尊球大徳等あまた高僧、笠山寺(加佐寺)にあつまり来り、又行者の祖師、役小角行者、此の山に来り鷲ヶの峯に登りて、宝詞を造り霊神を奉祀、城州笠置山伏一代ごと此の地に来たり、
護摩を修して霊神に供しつとめ侍る。これら山伏、高僧は修験、祈願をかけて、奇瑞なる霊験をさずかり、下山して社寺佛閣を建立する者又は此の地に骨をうずめる者あまた有りて笠山は修行の霊場となり、
加佐寺、神官寺、竹林寺、西之院、浄鏡寺、妙園寺、等の山寺が繁栄し、七堂伽藍、三重の塔、及び大門を建立して、一山寺を形成し、神躰山なる鷲峯(じゅぶ)山寺、笠山三宝荒神の名声は、
大和の国、笠山の一隅より、広く日本全土津々浦々にひびきわたり、各地に於て三宝荒神の社を建立し、火をしずめる神として諸人は各家の竈神に奉祀其の御神徳に浴せり。
御祭神
主》興津彦神、興津姫神、土祖神
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