御由緒
伊勢神社(通称伊勢宮)は、第十代崇神天皇の御代皇女豊鋤入姫命の御創建になり、2千有余年の歴史をもち、式内社として栄え、室町時代の頃迄は備前岡山の氏神として崇敬篤く、
境内地も現在の弘西学区全域に及んでいた。その後、他の神社も御創建され、人々も移住し、城下町が形成され、現在の氏子地域が出来上ったと思われる。
安土桃山時代以後は、宇喜多、池田両藩主の崇敬殊に篤く、池田光政公以後明治維新迄備前藩寺社領としては最高の300百石を賜わり、伊勢宮神官を以って備前国神職総頭の職を拝命され、
備前藩又は池田家の祭事いっさいが伊勢宮神官の手によって執り行われ、現在も続いている備前の国で最も由緒のあるお社である。又、伊勢宮には、300年前から「御神事」という祭事が執り行われている。
この御神事は、文禄元年宇喜多秀家が秀吉の命を受け、「征韓の役」の出陣に先立ち具足甲胄に身を固め、藩主以下総勢行列を整え、藩旗、弓、槍、鉄砲等を持ち、
伊勢宮に戦勝祈願に詣でた形を後世神事として祭儀のなかにとり入れて行われたのが起源である。
明治初年の頃迄は神馬、弓、槍、具足甲胄を身につけ執り行われていた。
伊勢宮の氏子は、武士と町人が半々であったため、御神事は主に商家である小畑町、上出石町、中出石町、下出石町(下出石町は現在岡山神社の氏子である)の四町内が順番に奉仕していた。
御祭神
《主》天照皇大神、豊受大神、《配》栲幡千々姫命
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