射穂神社 
   いぼじんじゃ       
〒470-0344
愛知県豊田市保見町北山26
 
御由緒書

 

 

 
御由緒・御祭神   

御由緒
古伝に三河国賀茂郡高橋の庄伊保郷開発和銅6癸丑歳改むとあり村名射穂とも又伊穂とも書き、後に伊保村、御獄市場を合して上伊保と称す。神社地は藩政時代城主の戦國地と称せるも火災焼失多くありたるため鎮座地を池之坊洞より御獄山頂に移し、また三祖山に移し明治維新の際北山と改称す。境内地 1170坪 祭神 左相殿 春日山田皇女 中殿 安閑天皇(廣國押武金日尊)右相殿 神前皇女 延喜式内3132座の内三河国加茂郡伊穂之神社祭神蔵王大権現とあり通称伊保天神とありしを享保年間より蔵王宮と称し、その後射穂神社と改称せり。和漢三才図絵に言ふ蔵王大権現祭神は不祥なるも社伝に清見原之皇子大友皇子御征伐之節御勝利祈願のために白鳳年間御即位に神社御建立とあり古代の創建なること知るべし。明治5年8月郷社に列せらる。明治43年末社八幡宮、八柱神社、秋葉神社、津島神社、武稲神社、神明社、伊豆社、御鍬社を合祀す。昭和18年8月県社昇格の申請を了し社格昇格の内定を得しも大東亜戦争終息により無に帰せり。旧氏子区域は上伊保村、田籾村、伊保堂村、殿貝津村、下伊保村、挙母町、宮口村、本地村、千足村、土橋村、梅坪村、金谷村、下市場村、下林村、長興寺村、今村、山室村、福谷村、黒笹村、莇生村、三好村、西一色村、福田村、明知村、打越村の25町村なりしが、明治15年頃挙母町ほか10余町村は挙母神社氏子へ分区せり。例祭は陰暦9月10日なりしが明治維新より陽暦10月15日に改む。特殊神事には鎮火祭、御粥占豊年祭あり。例祭には奉納献馬棒ノ手、空砲等の行事を慣行し氏子下各村提灯をもって参拝する例ありし。今般氏子一同より本殿再建の建議なり、昭和39年11月吉日仮遷宮。昭和40年3月23日夜御殿入り、翌24日完終了。

御由緒2
白鳳元壬申年(672)9月建社
「延喜式神明帳」に賀茂郡7座の内射穂神社、「三河国神明名帳」に正五位下伊保天神とある。永正年中に戦火により焼失したが、 永正7庚午年(1510)上伊保領主松平左兵衛慰定勝再建。元和5年(1619)5月大守丹羽式部少輔氏信公の寄進によって本殿改修。
境内社の八幡神社は寛永14年(1637)丹羽式部少輔氏信公奥方の建立。神明社、伊豆社は元禄2年(1689)御鍬社は寛保2年(1742) 八柱社は元禄10年(1672)津嶋社は宝暦2年(1752)秋葉社は宝暦13年に創立。
明治5年郷社に列格する。同26年熱田神宮より社殿を譲り受け拝殿とし同32年竣工。昭和40年本殿を鉄筋コンクリート造に改築。
同53年一之大鳥居建立。
「日本書紀」に名を勾大兄、謚を広国押武金日天皇とする。継体天皇第一子で母は尾張連草香の娘、 目子媛である。幼少の頃より器量に優れ武威にたけ、寛容な性格と伝えられている。安閑天皇は奈良県橿原市曲川町の勾金橋に都を遷し堅仁天皇の皇女春日山田皇女を皇后とした。許勢男人大臣の娘、紗手媛、その妹香香有媛、物部木連子大連の娘、宅媛の3人を后妃とした。安閑天皇は九州から関東にかけて多くの屯倉を設置し勾舎人部や犬養部などを置いた。天皇は安閑天皇2年12月に70歳で崩御され、古市高屋丘陵(大阪府羽曳野市古市)に葬られた。

御由緒3
延喜式内由紀三河國内神明帳正五位下式内とあり永承年中書類消失のため不祥なるも永承7庚午年伊保領主松平左兵衛定勝再建とあり。
『愛知縣神社要覧』((財)愛知縣神職會、昭和11年5月)226頁より

御由緒4
飯田街道の旧道沿いの了喜院、和徳寺などの名刹の前を通り、しばらく東に歩くと丁字路に至り街道は右手に直角に曲がる。この曲がり角に、まだ新しい石の大鳥居がある。これが射穂神社の一の鳥居。街道から離れて道をまっすぐに行くと、右手に御山前城の跡があり、そして左手に豊田市教職員会館をみつつ道はやがて急な坂道となる。山道を登り切ると、小さいながらも格式のある射穂神社にいたる。 社伝によれば白鳳元年(672)に創建とあり、延長5年(927)に選上された『延喜式』には伊保神社とある。 祭神は広国押金日皇命(27代安閑天皇)と春日山田皇女(安閑天皇の皇妃)神前皇女(安閑天皇の妹)の3柱である。 この地は、保見の地区では最も高い山で、眼下に伊保の里と豊穣の水田地帯が広がっている。いかにも神の座す山の景観である。射穂神社で忘れてはならないものに伊保郷印がある。現物は市指定文化財として郷土資料館に収蔵されている。 これは純銅製の印で縦、横、高さともに3.3cmで紐は鶏頭紐、表面に厚く緑青がふき、印面の彫り込みも深く、字くずれも少なく、平安時代の古印の通例に合致するものである。おそらく伊保の郷の田券などに押されたものであろう。 このほか多数の神社造営に関わる棟札があり、その中の一枚が東古城の頁でも取り挙げた「永正7年射穂神社当郷東城主松平右衛門尉定勝」の棟札である。 『豊田の史跡と文化財』(豊田市教育委員会、昭和60年3月)61、62頁より

御祭神
《主》広国押建金日命,春日山田皇女,神前皇女



現地調査報告   



現地調査日 平成 年 月 日
平成 年 月 日作成 皇學館大学神道学科

公式HP  
  
  
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