御由緒
当社は延喜式外の旧社であって、大宝2年10月持統天皇三河国を御巡幸の時勅使を得て氏神として鎮祭せられたという。当部落は往古海浜に臨み小浜の里と称し、
当社を小浜の明神と称した。
その後部落名が駒場に変わったのは、第92代伏見天皇の御代と伝えているが、この地名の起源は部落が鎌倉街道沿線にあって人馬の往来繁く、
且つ燐村知立の馬市に進まる人馬の宿泊地となっていたからであろう。
いらい氏子の崇敬愈々篤く、常に祭祀を重んじ、社殿の修復に心がける等奉仕の真心を捧げた。
明治5年村社に列し、同40年10月26日神饌幣帛供進神社に指定された。本神社例祭は古くは旧暦8月16日であったが
農業事情の変化により改変あり現在10月に奉仕せらる。
御祭神 《主》天照皇大神
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