式内社 大村神社  〒518-0226 三重県伊賀市阿保1555
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神社ご由緒   

                 神社ご由緒

大村神社は「延喜式」(九二七年)の神名帳に社名が記載されています。神名帳には、当時全国に無数にある神社の中から御由緒が正しく、 かつ朝廷の崇敬の厚い神社が選ばれています。又、それ以前の「三代実録」(九〇一年)に、八六三年に神位が正六位上から一階級昇進し従五位下に叙せられたことの記載があり、 当時からこの地方きっての古社であることがうかがえます。当社の主神、大村の神の御名は、現存する日本最古の書物「古事記」(七一二年)や 「日本書紀」(七二〇年)に「伊許婆夜和気命」「池速別命」とそれぞれ記されています。

三代実録石碑





                 大村の神

大村の神は、第十一代垂仁天皇の皇子で、今から凡そ二〇〇〇年程前にこの阿保の里にみえられました。伊勢の神宮を奉鎮せられた倭姫命の弟君にあたられ、 日本武尊の叔父君にあたられます。県下には倭姫命・日本武尊のゆかりの地や伝承が多く残っています。町内には、大村の神(息速別命)いこはやわけのみことの陵墓が阿保の西方にありヽ 俗に「親王さん」と呼ばれています。羽根には倭姫命の巡行の伝承があります。 又、当社の鎮座する地は、大村の神(息速別命)の宮室が築かれていたと言われています。 大村の神は、この地域一帯を開発・開拓された土地り守り神様として、また土地の鎮め・地震除災の守り神様として、 古今御神威を発揮され、遠き近きから多くの信仰を集めてきました。





息速別命の陵墓



                   社  名

社名は、「延喜式」(九二七年)の神名帳に「大村神社」と記されています。俗に「大森ノ社」と称されたことが「三國地志」などに見えます。 本居宣長の 「菅笠日記」に、「岡田 別府などいふ里を過て、左にちかく、阿保の大森明神と中ス神おはしますは、 大村神社などをあやまりて、かくまうすにはあらじや」と記されています。神社境内が、大きな木々に覆われているために、 「大森」といふ俗称で称されたのではないかと思われます。又現存の棟札には「鹿嶋大明神」(大正十五年)、「鹿嶋宮」(元和七年、安永八年)などと記されています。 当時、大村の神と共にお祀りしている鹿嶋神に対する崇敬が厚かったため、この様に称されたものと思われます。

本居宣長「菅笠日記」の碑


大村の森    




土地の鎮めの「要石」

要石社


秋祭り大なまず


願掛け水かけなまず


拝殿の西に「要石」が奉斎されています。創始は、 神護景雲元年(767年)、御本殿相殿祭祀の武甕槌命・経津主命は、常陸・下総の国より奈良の 三笠山遷幸の途次、大村神社に御休息、「要石」を奉鎮せられました。この霊石は、地下深く広がり、大地を揺るがす大なまずをしっかりと押さえていると伝えられています。又大村の森全体が大きな岩盤におおわれ、この地域をしっかりと護っていると伝えられています。毎年、9月1日の防災の日に地震除災祈願大祭が斎行され、又秋祭り には大なまずが街中に引き出されます。


なまず掛け軸


御祭神

 




境内社

英霊社


要石社



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