御由緒
当社の創建された年代は詳かでないが神道五部書に曰く、第十代崇神天皇の御代に、神戸大神宮、また天神宮と唱ふるとあり、
神戸は上之郷また小夫郷と、日本地理資料に古は笠縫邑と云へりとあって、いわゆる元伊勢の伝承地であります。
そして、第四十代天武天皇の御代、大來皇女の泊瀬斎宮、旧跡伝承地でもあります。
社伝に、第百六代正親町天皇の御代、古語拾遺に、天正5年9月2日(1577)斎宮太夫小笠兵庫と署吊せる、天照大神御幸神楽歌があり、
また、第九十六代後醍醐天皇の御代、本殿中門の脇に、嘉暦2年(1327)に献紊されし石燈籠があります。
第二十三代顕宗天皇の御代(485)顕宗紀に曰く、「殖槻也、田中乃杜也《とあり、槻の神木があることから、由來の久しいことを知るのであります。
神宮寺創立年代は詳かでないが、神社附属として境内に神宮寺を建て、社僧を置き、真言宗長谷寺より輪番によって常勤し、明治3年まで守護ありし社で、
同年社僧を廃せられ明治8年より神宮寺の寺号を廃せられる。明治39年4月28日、勅令第96号により、神饌幣帛料供進指定神社に列せられる。
御祭神
《主》天照皇大神、天児屋根命、菅原道真、《配》大来皇女命、品陀別命
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