御由緒
当神社は元神明宮にて、第十一代垂仁天皇の御代、皇女倭姫命が天照大御神を永遠におまつり申し上げるべき宮地を求めて、
御神慮のまにまに南勢へ御巡幸されたとき暫時御停座の御旧地と伝承されております。故に古来、神宮式年御遷宮ごとに、
皇大神宮一ノ鳥居、古殿舎の一部が御下賜になり改築の慣例になっております。明治41年、旧城南村各大字の神社を合祀、城南総鎮守となりました。
当神社に合祀の延喜式内長倉神社の相殿には少彦名命を奉斎し、古老の言い伝えにも薬の祖神としてあがめられ、病気平癒の祈願が行なわれたと伝えられております。
昭和27年4月8日、神宮の北白川祭主様には北勢地方をお巡りの際、当神社に御参拝になり玉串を奉られました。昭和30年、各大字の神社は旧社地に分祀になり、
昭和50年には城南干拓の立田町に城南干拓神社が御鎮座になりました。当神社御鎮座の地は、古くは宇治の鼻と呼ばれておりましたが、
壬申の乱のときの天武天皇のお言葉から安永の地名が起きたと伝えられております。当神社近くには、幣棚、神勺などの地名が残り、
古くからの祭祀の姿が偲ばれます。年中恒例祭典 歳旦祭 1月1日 祈年祭 2月17日 合社祭 5月1日 例祭 10月17日 新嘗祭 11月23日 その他の年中恒例祭典神事 10回
御祭神
《主》天照大御神,《合》保食神,少彦名神,天目一箇命,大山津見命,火産霊神,《配》豊受比売命
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