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主催者:現代日本社会学部教授 新田均  顧問:落合直人
問合せ先: 神社史研究会 副会長:落合直人

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神社ID90009神社コード0
神社名廣澤神社フリガナヒロサワジンジャ
通称名広沢天神フリガナヒロサワテンジン
郵便番号470-0361 鎮座地愛知県豊田市猿投町小黒見
氏子地域
電話番号FAX携帯電話
主な祭典例祭祭典日陰暦2月7日
特殊神事
お知らせ
旧社格式内社小社御朱印
祈祷出張祭神葬祭
結婚式宝物館その他
宮司名(本務/兼務)連絡先
主祭神少彦名命
フリガナスクナヒコノミコト
御神徳
由緒①猿投山西入口の広沢川に面した場所に鎮座し、学問と医薬を司る神として信仰のある少彦名命を祭神に祀っています。少彦名命は、出雲大社の祭神大国主命と共に国をつくり固めた神でもあります。
平安時代の延長5年(927)に編さんされた法律書「延喜式」に加茂郡7社の1つとして記されています。他に江戸時代の慶安2年(1649)の三河国神名帳にもその名がのっています。

②グリーンロードを通り過ぎて100m行くと猿投登山道へのわかれ道がある。道を登山道方面に進み、畑中の集落を抜けるといよいよ猿投山である。両側から木立の負いかぶさるような小道が広沢天神の小径である。登山道から約40m行くと、小さな祠と灯籠が2基ならび小じんまりとした宮が広沢神社である。明治42年の神社の統合運動の時、猿投神社に合祀されたが、昭和になって分離されてこの地に祀られた。もともとの位置がここであるかどうかは判らないが、その名の通り、猿投山の広沢川のあたりにあったものと考えられる。祭神は少彦名命、祭日は陰暦2月7日である。
少彦名命は、出雲大国主命と兄弟の契りを結んだ神様で、『出雲風土記』では大国主命と力をあわせて五百津鉏で国を作り固めた神様である。大国主命が病に伏した時、少彦名神が癒そうとして、大分の速見湯を下樋から持ってきて浴させるとやがて回復した。これが伊予湯郡の温泉(現在の道後温泉)である。大国主と少彦名の2神は温泉の神として広く信仰されている。猿投温泉が間近にあるこの広沢の地に少彦名神がまつられていることは、あるいは、奈良の昔、ここから温泉が湧いていたことがすでに知られていたのかもしれない。
『豊田の史跡と文化財』(豊田市文化財保護審議会編、豊田市教育委員会、昭和60年3月)9、10頁より

③少彦名命は、古事記の中に出てくる神です。大国主命が出雲の美保崎におられたとき、天の羅摩船に乗って来た小さな神で、いたずらっ子で、神皇産巣日神の手からこぼれ落ちたとされています。大国主命と共に出雲の国の経営に参加しましたが、その後常世の国に渡られたと伝えています。
伊予風土記逸文では、大国主命が病に伏した時、大分の速見湯で浴させ、病気が完治したとあります。医療・医薬・温泉・酒の神として崇められています。
猿投神社前の道を西へ500米ほど行くと廣瀬川が道を横切って流れています。この川に沿って上流へ行くと、登山道脇に小さな鳥居があり、参道を登ると小さな社があります。これが廣澤神社です。創祀年代など不祥です。明治42年、猿投神社境内に合祀されましたが、その後再びもとの廣澤の地に復祀せられ、猿投神社の末社として現在に至っているようです。
地元に人は天神といいます。神社のすぐ前を廣瀬川が清らかな音をたてて流れています。付近には民家もなく、川のせせらぎの音だけです。人里離れた山中にひっそりと鎮座しています。
『愛知の式内社とその周辺』(小林春夫著、式内社顕彰会、平成13年5月)221、222頁より
駐車場有無台数4台トイレ×
記載H29/7/29
最寄駅とよたおいでんバス/地域バス(豊田市) 、とよたおいでんバス 1藤岡・豊田線(加納経由) 「猿投神社前」徒歩30分
名所・名物
地図
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