由緒 | 今を去ること310有余年、江戸時代の延宝8年(西暦1680)丸尾港築造の時、築港の守護神として同年豊後国(大分県)より勧請したもので、祭神は住吉大明神・巖島大明神・八大龍神の御3神(9柱)を奉斎する。当初は社殿のみであったが、天保6年(1835)に丸尾港波止場に灯炉堂(灯台)が完成した時に拝殿が造営され、その後2度の改築があり、現在の拝殿は昭和43年に更新されたものである。三神社は通称「三神さま」と地元では呼び親しまれている「海の神様」であるが、明治27年の日清戦争から同37・38年の日露戦争、さらに昭和20年8月の大東亜戦争終結までの間「弾丸除けの神」として出征兵士の武運長久と生命の安全を祈る家族、里内を始め近県からも人々の参詣が絶えなかった。現在でも漁業関係や船乗りは勿論、近郷の人々の守り神として崇敬されている。神域一帯は景勝の地として有名である。大正末に「松濤苑」と名付けられ、別名を「住吉公園」とも呼ばれていた。丸尾港に面した水辺に立つ今の白鳥居は4代目で昭和55年の300年式年大祭の時に、木製で再建奉献された。社殿正面の右の鳥居は宝永2年(1705)5月に建てられたもので「防州吉敷郡丸尾崎華表銘、月は三島に映えて、神徳明らかなるを覚ゆ。至誠の致す処、民竃日に栄ゆ。」と詠める。 |
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