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詳細情報
| 神社ID/コード | 6909 | 5054 | ![]() | ||
|---|---|---|---|---|---|
| 神社名/通称 | 八幡宮 | 長野八幡宮 | |||
| (ふりがな) | はちまんぐう | ながのはちまんぐう | |||
| 郵便番号 | 753-0211 | 鎮座地 | 山口県山口市大内長野49番地 | ||
| 氏子地域 | |||||
| 電話番号 | FAX | 携帯電話 | |||
| 主な祭典 | 祭典日 | ||||
| 特殊神事 | |||||
| お知らせ | |||||
| 旧社格 | 式内社 | 御朱印 | |||
| 祈祷 | 出張祭 | 神葬祭 | |||
| 結婚式 | 宝物館 | 要助勤(月日) | |||
| 宮司名 | (本務/兼務) | 連絡先 | |||
| 主祭神 | 《主》応神天皇、神功皇后、田心姫命、《配》湍津姫命、市杵島姫命、大己貴命、少彦名命、天御中主命 | ||||
| フリガナ | |||||
| 御神徳 | |||||
| 由緒 | 祭神は、応神天皇・神功皇后・三女神・大己貴命・少彦名命・天御中主命である。社伝によると寛治三年(一〇八九)に長野長者の平忠平というものが宇佐八幡宮を勧請しこの地に社殿を建てたという。中世には大内氏の崇敬があつく、大内弘世は社殿を修理し境内を整備した。大内氏が亡んだ後兵乱により焼失したがこの地の人々は心をあわせて社殿を再建し旧観に復した。現在の社殿は江戸時代中期の造営にかかるものである。明治六年郷社に列せられた。境内は広く林泉も清らかで、慶応2年(1866)の春、藩主毛利敬親公が本社の藤をの花をめでられたこともある。昔は本社の秋祭には「長野町」といってにぎやかな市がたった。この市で宮市の兄部の店があいもの(干魚)などを売っていたことが古い記録などで知れる。山口の町からも多くの参拝者があったといわれる。 | ||||
| 駐車場有無 | 台数 | トイレ | |||
| 記載 | |||||
| 最寄駅 | |||||
| 名所・名物 | |||||
| 地図 | |||||
| HP(主) | 神社写真/HP(副) | ||||
| 御影 | |||||
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