| 由緒 | 当神社は、社伝によると古く足利庄の「伊勢宮」として、皇祖天照皇大神を奉斎して鎮祭されたと伝えられる。往時足利氏の累代を始め衆庶の人々が連綿と崇拝されたと伝われ、弘化年間(1844)には社殿を復興造営して、その後王政復古、明治初年の国家多事の際厄運に遭遇したが、明治14年1月(1881)に再び境内地(当時の東町)に皇大神宮遥拝所として再建され、明治39年には伊勢宮社蹟復興及神明宮奉遷の官許を得て社殿を造営、御社名も「足利伊勢宮」と奉称した。同年12月には、伊東、東郷、上村の三将軍が来足の折り参拝され、境内に記念植樹や御幕を奉納された。現在の社号標は当時東郷元帥が揮毫のものである。又大正2年、伊勢神宮御下賜用材の御木曳行事を当時の足利町民が挙って盛大に斎行して、御社殿等を造営した。が、同14年街の大火により社殿の殆どが惜しくも烏有に帰した。その後当宮を永遠に奉斎して神ながの本姿をねがう、氏子崇敬者の熱誠と奉賛によって、伊勢神宮の御正殿に倣い、端麗にして簡潔、重厚にして単純さを表わす神明造の建築様式で御社殿を始め鳥居、社務所等諸建造物を現在地に新築し、昭和4年竣工、本殿遷座祭を盛大に斎行した。同17年に御社名を「伊勢神社」に改称され、村社に列していよいよの御神徳の宣揚、社頭の隆昌を期して現在に至った。特に当神社の神前結婚式は当地唯一の古い歴史と伝統を誇り、多くの人々が御神徳を蒙り、今日でも足利の「大神宮」「伊勢宮」と称へて崇敬をされている。 |
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