由緒 | 祭神・誉田別命 神像の本体は唐金製の小型なもので藤原秀郷が守護神として尊崇し戦に臨む度に髪に秘めて出陣したと伝えられる。現在の神体は武将が白馬に跨った姿の木造極彩色のもので寛政11年9月(皇紀2459年・西暦1799)氏子横田伝兵衛が奉納したものである。その神体と共に平和を象徴する鋳物の鳩一番金幣三体神鏡一面を併せて奉納し元の神像はその時新らしい神体の胎内に納めたと言われている。由緒 天慶年中常陸国において謀反を起した平将門征討の命を受けた俵藤太藤原秀郷から陣中に守護して偉功があった正八幡大神を贈られた荒針家は代々正八幡大神のご加護で勲功を挙げて来たが安元年中源平合戦が起ると宇都宮朝総に従って朝廷守護のため前記正八幡大神を奉じて上洛していた荒針兵庫清正が平氏西海に敗れて戦が終了したので郷国へ帰ったがその大任を果した喜びと利生の大なることを感謝して寿永2年荒針家代々の守護神正八幡大神を下野国荒針(現在の宇都宮市大谷町荒針)より遷して谷田開(後に久下田町大字谷田貝・現在の二宮町大字久下田字八幡山1692番地)に勧請し開拓地の産土神として奉斎した。その産土神を千代ヶ岡と称するのは神社建立のとき何処からか白鶴が一羽飛来して悠々と社殿の上を舞って飛び去ったが次の日も次の日も飛んで来て舞うこと3日に及んだこの奇瑞にあやかり鶴千年の齢に因んで千代ヶ岡と名づけ以後千代ヶ岡八幡宮と称した。 |
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