由緒 | 久度神社は昔よりその名京畿地方に隠れもなき古社でありまして、その創祀の年代は古く奈良朝以前にかかり、歴代皇室の崇敬篤く、殊に第五十代桓武天皇の延暦2年には特に官社に列せられ、従五位下という神位を賜りましたことが、続日本紀に記戴されその後毎年朝廷より幣帛をささげられ延暦13年都を奈良から京都に遷され久度の神を始めその他平素から信仰の篤かった二、三の神神を皇居の近くに遷されて新たに平野神社を建てられました。これ実に今から約1180年の昔であります。これが京都の元官幣大社平野神社であり、その第二座の祭神が久度の神で出あります。平野神社は京都守護の神として、ますます皇室の御尊崇をあつめられ久度の神の神位も次第に高められて、白河天皇の永保元年には正一位に進められた。中世以降京都に遷られた久度の神は皇居に近く、ますます字上下の尊信を得て栄えましたが、一方、大和に残存の当久度神社は、何分京都より離れた地のため朝廷直接の御崇敬は漸く遠ざかりましたが、なお厳然と名高い古社として民間遠近の尊信は絶えませんでした。平安朝の初めに日本国中の神社を調査された延喜式神名帳の中にもその名が記されています。その後約1000年の間、時により多少の変遷興廃はありましたが、昭和17年橿原神宮の古殿をもつて拝殿・瑞垣・斎館・中門等の造営により面目を一新し、昭和43年4月10日には京都平野神社からはるばる久度の神を迎え、基のみ座である久度神社の本殿にお祀りする。 |
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