由緒 | 延喜式神名帳(平安時代)に「葛下郡長尾神社、大、月次、新嘗」とでている式内の旧社です。尚六国史の一である三代実録に、「貞観元年己卯(875)正月27日大和国従五位下、長尾神社従五位上」とあり、今から1100年前には、この地に鎮座されたことが明らかで神階はその後寛平9年(897)より弘安四年(1281)までの間に九階進昇のことがあり、弘安四年には正二位に江戸時代には正一位にまで進まれたと社傳に伝えている。御祭神は神武天皇ご東征に際し、吉野川上村井光方面にご巡幸の時、井戸の中から現れたとされている水光姫命であり、古事記や日本書紀では、光って尾が生じていたと記されている。新撰姓氏録では「吉野氏の祖先で、天白雲別命の娘、豊御富登であり、水光姫の名は神武天皇が授づけられたもの」としている。長尾神社の社傳では「この水光姫命が、応神天皇の御代に当麻町竹内の三角岩に降臨され、子孫の加彌比加尼に命じて長尾に祀らされたものでお姿は白蛇であつて、今、神社の東北に藤をもつて覆われている御陰井の藤の花はそれである。嘉吉3年(1443)王寺町放光寺縁起によれば「長尾神社は放光寺の鎮守神で、葛下郡全体を当社に献じられた。」としていますが、長尾神社の名称の由来を説明して、即ち「城上郡(今の桜井市のあたり)の美女を嫁にされた神様があったが、一向に姿を現されないので、嫁の父が、神様の着物のすそに、長い赤糸を取り付けて、その後をつけていった所、長尾宮には入った」といふ話であります。水光姫命は豊御富とも申され、豊かな吉野川の水を守られる水神であり、また井戸の神様でもあります。父神が天より降臨された天白雲別命であるというのは、白雲が雨をもたらし、雷にもなるところから、水の根源を現したものであります。この点で、農耕を始め、種々の産業を守る御神徳をおもちであります。 |
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