トップページ 

神社検索(三重)

単語から検索

  単語から氏神様を検索できます。複数の単語は間に空白を入れてください
 単語例:郵便番号・住所・神社名・御神徳・御祭神 等

皇學館大学現代日本社会学部神社検索システム研究会と三重県神社庁教化ホームページ委員会とが共同で制作しています。
平成5年に神社本庁が作成した「平成の祭」CDのデータを補助的データとしても使用しています。
制作:皇學館大学現代日本社会学部神社検索システム研究会
主催者:現代日本社会学部教授 新田均  顧問:落合直人
問合せ先: 神社史研究会 副会長:落合直人

検索結果

詳細情報

神社ID/コード637984219049 画像収集中
神社名/通称大井神社
(ふりがな)おおいじんじゃ
郵便番号513-0016鎮座地三重県鈴鹿市山辺町 232
電話番号FAX
主な祭典例祭10月、祈年祭2月、天王祭(7月)
宮司名楠 皐(くすのき たかし) 
旧社格村社
連絡先059-382-3622(fax:059-382-3703)
主祭神《主》建速須佐之男命,《配》大雀命,天照大神,御井神
ふりがなたけはやすさのおのみこと
御神徳五穀豊穣、産業の繁栄、雨乞、厄除け、家内安全、子孫繁栄
由緒当社の創祀については詳かにし難いが、『式内社傍注』に始まり、『武内社考証』『徴古録』『三国地志』等では式内社と記録している。その論拠は、社名の大井を『万葉集』で歌枕として著名な山辺の御井であるとし、その所在を当郡山辺町であると推定することに拠っている。江戸時代においては、牛頭天王社或いは若宮八幡社と称し、俗に天王と称していたようである。現在所蔵されている二一枚の棟札によると、江戸・明治・大正・昭和を通じ数多くの社殿造営が行われ、人々の崇敬の篤さを知ることが出来る。慶応三年(一八六七)神戸藩生木多恵貫は境内裏のつつみ井に「山辺の御井の碑」を建立している。明治四一年(一九〇八)境内社の若宮八幡社、山神社を合祀し、同四四年三月河田町の川神社に合祀された。しかし地元氏子の総意により昭和二六年(一九五一)分祀され、現在に至っている。宝物等 練札二二枚(寛永七年《一六三〇》・文政一三年《一八三〇》・ 文政四年《一八二一》・文政三年・貞享五年《一六八八》・文化元年《一八〇四》・明和二年《一七六五》・天保一五年 《一八四四》・寛保元年《一七四一》・享保一三年《一七二八》在銘)、この他明治・大正・昭和在銘のものも存する。神鏡二面 小絵馬数枚 常夜燈二対 狛犬一対 特記事項 昭和二七年(一九五二)名古屋大学考古学教室により、裏の崖から八世紀頃の墓地と認められる「山辺の横穴」が発見されている。
特殊神事
氏子地域鈴鹿市山辺町
宮司記載須佐之男命は中世以降牛頭天王と習合し「天王さん」の名で親しまれ疫神として崇拝された
HP(主)
御影画像収集中

ページトップへ 検索ページへ