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詳細情報
神社ID/コード | 63753 | 4219004 | |||
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神社名/通称 | 比佐豆知神社 | ||||
(ふりがな) | ひさずちじんじゃ | ||||
郵便番号 | 510-0254 | 鎮座地 | 三重県鈴鹿市寺家 3-2-20 | ||
電話番号 | FAX | ||||
主な祭典 | 4月第2土・日曜日 獅子舞 | ||||
宮司名 | |||||
旧社格 | |||||
連絡先 | |||||
主祭神 | 《主》五十猛命,《配》大屋津姫命,《合》抓津姫命,少彦名命,天照大神,伊弉冉尊,誉田別尊,天児屋命,速玉男命,事解男命, | ||||
ふりがな | |||||
御神徳 | |||||
由緒 | 当社の創祀並に由緒は、社伝によると、聖武天皇天平勝宝年間旧刹たる白子山子安観音寺と神域を共にし観音寺南側に位し、往昔は萱葦の神祀六宇に鎮り座し東面し北より秋葉金毘羅宮、富士権現、天神宮、熊野権現、神明宮、木立明神或いは富士権現と称し遠近の崇敬者多く特に両部神道の思想が強くうかがわれる、と伝える。又白子山子安観音寺は、聖武天皇の御願所、藤原不比等の建立ともいわれ、また此所に咲く不断桜のことが稱徳天皇の叡聞に達し、勅に応じて大内の南庭に植ゑられたが、一夜のうちに枯木となったこと等が伝えられている。さらに宗祗の句に、この桜の「冬咲くはかみよもきかぬ桜かな」の句もあり、子安観音寺の古さを物語っており、同時に当社の由緒の古さをもうかがうことができる。江戸時代に於ける当社の呼称は『伊勢式社案内記』や『伊勢国式内社宮地記』には木立明神と、又『布留屋艸祇』『神風徴古録』『背書国誌』などは富士(不盡)権現とあり、或いは子安観音寺の地主神として 崇敬されてきたのではなかろうか。明治四一年(一九〇八)同地の村社熊野神社他一社を合祀している。宝物等 棟札 二枚(延享二年〈一七四五〉二月一五日在銘・亨保一五年 〈一七三〇〉三月五日在銘) | ||||
特殊神事 | |||||
氏子地域 | 寺家1丁目~8丁目 寺家町地区 | ||||
宮司記載 | |||||
HP(主) | |||||
御影 |