トップページ 

神社検索(三重)

単語から検索

  単語から氏神様を検索できます。複数の単語は間に空白を入れてください
 単語例:郵便番号・住所・神社名・御神徳・御祭神 等

皇學館大学現代日本社会学部神社検索システム研究会と三重県神社庁教化ホームページ委員会とが共同で制作しています。
平成5年に神社本庁が作成した「平成の祭」CDのデータを補助的データとしても使用しています。
制作:皇學館大学現代日本社会学部神社検索システム研究会
主催者:現代日本社会学部教授 新田均  顧問:落合直人
問合せ先: 神社史研究会 副会長:落合直人

検索結果

詳細情報

神社ID/コード635984215013 画像収集中
神社名/通称伊賀留我神社南伊賀留我神社
(ふりがな)いかるがじんじゃみなみいかるがじんじゃ
郵便番号510-0012鎮座地三重県四日市市大字羽津戊 523
電話番号FAX
主な祭典例祭10月16日
宮司名岩田 健司 
旧社格郷社
連絡先
主祭神《主》天照大御神荒魂,《合》大年神,大山祇神,天武天皇,不詳一座
ふりがなあまてらすおおみかみあらたま おおとしのかみ おおやまつみのかみ てんむてんのう
御神徳
由緒垂仁天皇一八年、皇女倭姫命が天照大神の大宮処を求めて桑名野代宮より鈴鹿忍山宮へ御遷幸の途次節、当地に御駐輿された跡であり額田部の子孫は天津彦根命の孫、意富伊我都命の遠孫が天照大御神荒魂を奉斎したと伝える。また、大海人皇子(後の天武天皇)と大友皇子との間に起った皇位継承の争い」、壬申の乱(672年)の時、大海人皇子は白鳳元年に当地、朝明郡迹太川より神宮を御遥拝戦勝祈願された故事によりより、訳230年後、天武天皇の事跡を偲んで額突山の麓に天武天皇社が創建され、山頂には「天武天皇神宮御遥拝所」と刻まれた石碑が残っている。『神鳳鈔』には「鵤ノ御厨三丁」とあり神宮と関わりの深かったことが知られる。天延二年(九七四)、叡山の僧良源が船木氏の良見に聘され下向、鵤村に安居し後 帰山するが、弟覚鎮が当地に斑鳩山大善寺を創建し、別当となったと伝える。五世空源の代に、信長の兵災に罹り、迦藍、神社の古文書等を悉く焼失。明治末葉、無格社天武天皇社(天武天皇)、ほか五社を合祀した。
特殊神事
氏子地域羽津戊(通称・羽津鵤町) 南いかるが
宮司記載
HP(主)
御影画像収集中

ページトップへ 検索ページへ