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詳細情報
神社ID/コード | 2893 | 4209006 | ![]() | ||
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神社名/通称 | 真木山神社 | ||||
(ふりがな) | まきやまじんじゃ | ||||
郵便番号 | 518-1326 | 鎮座地 | 三重県伊賀市槙山 3237 | ||
電話番号 | FAX | ||||
主な祭典 | |||||
宮司名 | |||||
旧社格 | |||||
連絡先 | |||||
主祭神 | 《主》天児屋根命,經津主命,眞木山神,《合》武甕槌命 菅原道真 大日靈貴命 伊邪那岐命 火之迦具土命 應神天皇 蛭子命 大物主命 天手力男命 健速須佐之男命 大山祇命 | ||||
ふりがな | あめのこやねのみこと ふつぬしのみこと まきやまのかみ | ||||
御神徳 | |||||
由緒 | (一)神社の名称・創立 本社の創立は古く、社名については延喜式神名帳に、″延喜式内 伊賀25座の一座にして″・・云々の記述あり、亦、惣國風土記に ″阿拝郡眞木山郷 眞木山神社圭田32束 和銅3年庚戌奉圭田加神禮″・・以下略と有るにより其れ以前の創立なること明瞭である。更に延長風土記、三国地誌、伊山故事考等にも同様の記述が有り、亦、東大寺荘園帳にも其の記述が見られる。 呼称については、眞木山の字の示す如く美材の産地でも有り、其の昔、聖武天皇が眞木山郷に見事な大木が有る事をお聞きになり、″東大寺の造営に是非とも使用したい″と所望され、神社の前を流れる槇山川から木津川を利用して笠置へ、そこから陸上を東大寺に搬送・寄進したとの記述がある。亦、此れを証明する大木が神社前を流れる川の河川改修時に発掘(未だ数本埋蔵されているとの事)され、其の一本が神社に保管されている。 (二)建造物 此の歴史的価値ある神社も、残念乍、天正年間(5 5 1~5 5 3)に織田信長の″天正の乱″所謂 ″伊賀攻め″や政略による内部紛争により、焼失の憂き目に合い、貴重な建造物や文書類が殆ど現存せず、何も証明・解明できずに現在に至っている。 (三)特殊神事 ①神社と能楽 神社と能楽の歴史は古く、寶永年間(1704~1711頃)大和國ノ能 楽師何某ガ、京都御所ヲ拝謁シ、伊勢神宮二参詣スル途スガラ、近江國信楽谷ヨリ伊賀國白石峠ヲ越へ槇山郷二赴リシ時二、俄二猛烈ナ腹痛ヲ起コシ路傍二打チ臥シテ苦悶シケルガ、フト當社ノ坐スヲ拝シ此ノ神ニシテ我が病苦ヲ癒シ給ハンニハ、年々ノ大前ニテ能楽ヲ奉納セント心中二祈願シケレバ受納マシマシケン忽チニ腹痛止ミテ悦ビテ参宮スルコトヲ得タリト依テ、其レ以後當社ノ例祭(四月十八日)ニハ必ズヤ「翁」ヲ奉納スル・・・と有り、此の能楽師が日本の能楽の開祖″金春流″能楽師だと判明し、今も金春流家元(関西)よりの奉納がある。此の能楽師が腹痛で苦しんだ処を″翁ノ芝″ 神往前を流れる川に架かる橋を″翁橋″と名のみ残している。 ②勧請釣縄神事 此の神事は、大字槇山区を18組に細分化し、毎年2月18に早朝より輪番制で該当地区の氏子に依る釣縄を作製し、其の釣縄を槇山の上流より南に流れる槇山川(木津川最上流)の東西に架けます。此の釣縄神事の目的は、疫病・悪病の槇山への流入を防ぎ、金銀財宝の流出を防ぐ為に架けるのが本来の目的です。此の日は、早朝より稲藁1束(12把)を持ち寄り、直径13~15cm程の太縄を長さ約50mを1本綯い両端を固定、此の縄に藁で作った鍋つかみ、鍋敷き、藁草履等を括り着け、縄の中央に幣串を固定し、安全を祈願する神事で、今も継承しています。 | ||||
特殊神事 | |||||
氏子地域 | |||||
宮司記載 | |||||
HP(主) | |||||
御影 | ![]() |