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詳細情報
| 神社ID/コード | 8629 | 0 | ![]() | ||
|---|---|---|---|---|---|
| 神社名/通称 | 森神社 | ||||
| (フリガナ) | もりじんじゃ | ||||
| 郵便番号 | 現鎮座地 | 鹿児島県 | |||
| 鎮座地調査年 | 平成5年 | 当時鎮座地 | 鹿児島県志布志市有明町原田577 | ||
| 氏子地域 | |||||
| 電話番号 | FAX | 携帯電話 | |||
| 主な祭典 | 祭典日 | ||||
| 旧社格 | 式内社 | 御朱印 | |||
| 祈祷 | 出張祭 | 神葬祭 | |||
| 結婚式 | 宝物館 | 要助勤(月日) | |||
| 宮司名 | (本務/兼務) | 連絡先 | |||
| 主祭神 | 《主》用明天皇 | フリガナ | |||
| 御神徳 | |||||
| 由緒 | 紀元1221年(西暦552)第二十九代欽明天皇の御代、我が国に始めて佛教が伝来したので天皇は多くの重臣を集めこれを拝すべきか否かを謀り給ふた。その時物部氏は我が国には昔から神様がありこれを拝しているのだから若し佛教を信じて外国の佛を祀ったら我が国の神々の怒を受けるに違いないと排斥し蘇我氏は西方の国はいずれも佛教を信じている日本だけが信仰してならぬはずがないと賛成して両派の争となった。その後、第三十代敏達天皇の御代蘇我馬子は父の志をついで崇拝し物部守屋も亦父の志をついで甚だしく排斥した。こうして第三十一代用明天皇の御代両家の争いは激しくなりその為に滅亡したと伝えられた物部守屋は遂に一門一家を伴い身を遁れて大隅に亡命し原田の田原川流域の文化の非常に開け木花咲姫の神社や古墳のあることを知り、この原田を幽居の地と定めここに崇拝申し上げていた用明天皇を奉祀し物部氏は日参して天皇の御安泰を祈り奉り忠臣の誠意を表したのである。之が用明天皇を祭神とする理由であると伝えられ高井田のノンド丘円墳は物部氏の古墳であると伝えられている。 | ||||
| 特殊神事 | |||||
| 名所・名物 | |||||
| お知らせ | |||||
| 駐車場有無 | 台数 | トイレ | |||
| 宮司記載 | |||||
| 最寄駅 | |||||
| 地図 | |||||
| HP(主) | 神社写真/HP(副) | ||||
| 御影 | |||||
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