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詳細情報
神社ID/コード | 3392 | 0 | |||
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神社名/通称 | 八柱神社 | ||||
(フリガナ) | やはしらじんじゃ | ||||
郵便番号 | 現鎮座地 | 愛知県 | |||
鎮座地調査年 | 平成5年 | 当時鎮座地 | 愛知県豊田市畝部東町川端46 | ||
氏子地域 | |||||
電話番号 | FAX | 携帯電話 | |||
主な祭典 | 祭典日 | ||||
旧社格 | 式内社 | 御朱印 | |||
祈祷 | 出張祭 | 神葬祭 | |||
結婚式 | 宝物館 | 要助勤(月日) | |||
宮司名 | (本務/兼務) | 連絡先 | |||
主祭神 | 《合》多岐都毘売命,《主》正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命,天之菩卑能命,天津日子根命,活津日子根命,熊野久須毘命,多紀理毘売命,市杵島毘売命 | フリガナ | |||
御神徳 | |||||
由緒 | 古書によれば有史以前に伊勢海岸から磯部族がこの地に移りきて住すという。三十五代孝徳天皇白雉3年(650)釆女朝臣勅によりこの地の郷長となり釆女郷と名づく、始祖を祀って氏神となし宇祢部大明神と称す。これ当社の起困なりと伝う。寛正4年(1463)川端福林寺住持誓誉上人が水害を憂い寺の持仏として寺祭を行う。天正10年(1582)領主島田三河守寄進により本殿を改築一時川端明神とよぶ。寛永年間の頃社名を八王子神社に改む。徳川時代に大水害あり悲惨困窮甚だし。宝暦7年(1757)中島堤防決潰。明治4年(1767)川端堤防決潰。安永8年(1779)川端堤防決潰。喜永3年(1850)川端宗堤防決潰。喜永六年極度に傾いた社殿を修復。明治維新の際、社名を八柱神社と改む。明治五年村社に指定。明治39年(1906)傾廃甚だしくなった本殿を改築。明治41年供進神社に指定。昭和十年社殿を改築と大広前に建立された大鳥居など相候って社の面目を一新。翌11年3月28日上棟の儀を拳ぐ。昭和14年10月25日御神木の大樟天然記念物に指定。昭和22年宗教法人に指定九級社。昭和34年9月26日未曽有の伊勢湾台風によって本殿倒潰。昭和62年本殿新築に着工、63年完工待望久しき本殿の復旧なって社の面目が整い同年10月23日氏子を挙げて竣工祭を行う。 | ||||
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