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詳細情報
神社ID/コード | 3161 | 0 | |||
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神社名/通称 | 石刀神社 | ||||
(フリガナ) | いわとじんじゃ | ||||
郵便番号 | 現鎮座地 | 愛知県 | |||
鎮座地調査年 | 平成5年 | 当時鎮座地 | 愛知県一宮市今伊勢町馬寄石刀3 | ||
氏子地域 | |||||
電話番号 | FAX | 携帯電話 | |||
主な祭典 | 祭典日 | ||||
旧社格 | 式内社 | 御朱印 | |||
祈祷 | 出張祭 | 神葬祭 | |||
結婚式 | 宝物館 | 要助勤(月日) | |||
宮司名 | (本務/兼務) | 連絡先 | |||
主祭神 | 《合》天照大神,豊宇気毘売神,軻遇突智神,大鷦鷯尊,中筒男命,事代主命,伊弉冉尊,菊理媛命,大己貴命,《主》手力雄命,国常立尊,豊斟渟尊,国狭槌尊 | フリガナ | |||
御神徳 | |||||
由緒 | 御祭神 手力雄命外14柱。御祭神は力の神として御神威の強烈なるを以て世に聞こえ、往古から御力をわけ戴いて、事業の成就と開運招福を祈願する近郷武門豪族を始め、氏子崇敬者から深く信仰されて来ました。御由緒 本社は延喜式内の古社で、社伝によれば崇神天皇の御宇の御鎮座と、伝えられています。当地は木曽川の流れに沿い、尾張国内でも古くから文化の開けたところで、のちの律令による石刀の里は、御社名にちなんで命名されたものといわれます。御鎮座の地馬寄は往古「今寄の庄」と云い、天慶年間平将門追討の後、奉賽のため伊勢神宮に神戸として貢献せられた処で爾来伊勢との神縁あり、当時郷内に伊勢両宮を斎祀したが、永録年中戦火に遇い社殿を烏有に帰したため、石刀神社の内陣に遷座、以来三明神と尊称、後に享保三年宗源宣旨により、正一位の神階にお進みになられました。応永年代頃国衙領内に既に所領を有しており、武将豪族の崇敬も篤く、文明18年斯波氏採地を寄せ奉り、降って領主となった織田氏も毎年灯油料を寄進致しました慶長年間関ヶ原の戦いに際し、此地に関東の陣営を布く処となり、社殿建造物を荒廃させたため、関東の勝捷後徳川氏の命により、奉行吉田伊豆守修復御造営の事に当たり、以後尾張徳川家の尊崇を受け面目を一新しました。当地、地頭武藤氏の代々の崇敬は今も尚語り伝えられて、一般近郷隣甫の諸人の崇敬をあつめて今日に至りました。御宝物中には、全国臨時宝物取調局登録状の交付を受けた、鎌倉時代前後の作と推定される狛犬等の彫刻を始め、古文書其他往昔を偲ばせる品を蔵しています。内、経筒.釣燈籠.懸佛.祭礼用山車は一宮市文化財に指定されています。昭和15年県社に列格。御祭礼、例祭、4月19日斎行、毎年4月19日以降の最初の日曜日に、山車三輌、献馬6頭を各町内から意匠をこらして曳き出されます。まつりの中心となる頭人は其の古い慣例がそのまま伝えられており、世に広く石刀祭とよばれています。関ヶ原の戦いの後、前述の徳川氏の命による御社殿の修復、御造営にあたり、その奉祝のため慶長13年に伊奈備前守に願出で、山車、献馬を奉納したのが其の始めといわれる。戦前は5台の山車が戦災により2台を失い、3台が献馬と共に巡行し「おはやし」「人形からくり」を御社前に奉納します。山車は三層よりなり、上層のからくり人形は「はなれからくり」で他に類例をみないものであります。 | ||||
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