| 由緒 | 当社は古来、現在地に鎮座の神社で、大歳社、中松原社、美野社、箕曲社、などと称していたが、後世に到って箕曲中松原神社と改めたものである。創始年代は不詳であるが、長徳3年(997)8月、外宮田社三三所中、柏木社の註に「柏木社在大歳社中松原」とあり、また、元応2年(1320)、豊受大神宮禰宜度会家行撰録の類聚神祇本源の豊受大神宮所管神社の條に「中松原神社」とあって、中松原に鎮座し、大歳神を祀る千年以上の旧祠であることが推知される。古来、美乃乃村(後の岩渕町字箕曲)の住人が、神宮御饌料の柏を供進するのが慣例となっており、神宮の御饌に古くより由縁のある社であった。天和2年(1682)の出口延佳著述の神宮続秘傳問答に「岩渕町の末にあるは美野社也。其所の名も古記には継橋郷美野村と記せり。今、俗に、誤って箕曲社と書けり。」とあり参宮案内記に「岩渕町の末に美野社と云うなり、是、美野中松原社とて外宮末社85社の内なり。」と記してあるのは、当社のことである。明治4年12月には郷社に列せられ、同8年12月には県社に昇格した。明治42年3月、倭町の神落萱神社、他4社、尾上町の菅原社、岩渕町の柏木社、他5社、勢田町の山神社、他3社を同年4月、岡本町の五日市蛭子社、他七社を同43年6月、桜木町の桜木社、中之町の御岩社、他5社、古市町の長峰社、他二社、久世戸町の菅原社を、同年8月、境内社5社、箕曲社を合祀している。尚、年月は不詳であるが、古市町の長峰社、倭町の金刀比羅社を分祀している。 |
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