櫻井神社 
   さくらいじんじゃ       
〒444-1154
愛知県安城市桜井町桜林17
TEL
 
由緒

 
神社由緒   

御由緒
創建は養老二年(七一八)加賀国白山姫神社より勧請し、碧海山に鎮めまつり碧海大明神と称し、延暦七年(七八八)二子山に遷座し、弘仁九年(八一八)八月下旬、今の社地、比蘇山に鎮めまつる。足利氏銭三百貨を寄進し、大永七年(一五二七)桜井城主松平宗安社領十石を寄進、社殿を造営する。慶長十九年(一六一四)八月二十八日、徳川家康社領五十石を朱印寄進し明治維新まで続いた。享保二十年(一七三五)二月二日神祇管領ト部氏より正一位の神階をうけた。明治五年十一月、郷社に列し大正三年十月一日、字ニタ子の天神社と字下谷の八幡社と字西町下の秋葉社と字貝戸尻の秋葉神社と字屋敷の天神社と字獅子塚の秋葉社を本社に合祀合霊した。昭和七年十一月二十三日、県社に昇格する。
例祭日十一月三日 (愛知県神社名鑑より)

櫻井神社は、往古より桜井郷の産土神社として尊崇篤く神威熾にして国内神明帳に載せられし従五位桜井天神と称し奉り、 武家の崇敬篤く鎌倉時代に於て三河守護吉良氏より300貫の社地寄進が為されたと伝えられ、桜井城主松平親房は大永7年(1527)自ら願主となりて社殿の行ないました。 当時は神明社と稱されていましたが慶長15年(1610)家康の命により本殿の修築が行なわれ、三河三白山社として歴代徳川家の崇敬を受けてきました。 寛永年間に社号も桜井権現と改稱され後正一位桜井神社と稱し、由緒深き故を以て昭和七年県社に昇格され古くより旧碧海・幡豆の2群に亘って氏子村も三十有七ヶ村に及ぶ近郷の大社として崇敬誠に浅からぬものがありました。 大祭は元陰暦9月16日とされていましたが、明治より10月16日と改められしも近年11月3日に定められている。 往昔徳川家康によって奉納された流鏑馬の神事につづき花馬・額・山車・打囃子・獅子舞・棒ノ手・角力・花火の奉納が盛大に行なわれ、わが故里の鎮守の神としてとこしえにいつき祭る。

御祭神
《主》伊弉諾尊,伊弉冊尊,菊理媛尊,《合》火之迦具土神,火産霊神,応神天皇,倭姫命,菅原道真,《配》天照皇大神,八幡大神



現地調査報告   



現地調査日 平成 年 月 日
平成 年 月 日作成 皇學館大学神道学科

  
  
  
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