御由緒
由 緒 当社の創祀並に出納については 詳にし難いが、社伝によれば「記紀」に日本武吟が東国征伐の往路に尾津浪の松の下に剣を置き忘れたが、帰路まだ剣が残っていた。
そこで尊は「尾張に 直に向へる 一つ松あはれ 一つ松 人にありせば 衣著せましを 太刀佩けましを」と詠まれたと言ひ、
この縁由より日本武尊とその御子である足鏡別王(始祖)を祀ったと伝へられている。
平安時代には『延喜式神名帳』の桑名郡に尾津神社の名がみられ近世以降当社を『延喜式』に載せる小津神社に比定する悦が有力となっている。
その理由は、「当社の近辺は往古多度川が海にそそぐ海浜地帯であり、景行天皇紀にみえる「尾津浜」「尾津前」の地名は、この小山の尾津のうちに当ると考えられ、
又「小山」の地名は、小山連の氏族名からでたもので古い地名である」と『式内社丁さ報告』(昭和五二年皇學館大学出版部)は報告している。
神階は従五位下に叙せられている。
大正七年(一九一八)三月山神社、佐軍神社、八龍大明神を合祀した。
なお現在、神職は不在で、多度大社が兼務している。
御祭神
《主》倭建命,足鏡別命,《配》大山津見神,祭神不詳
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