御由緒
醍醐天皇延喜5年(905年)勅命により撰修された「延喜式」神名帳に登録された式内社である。明治41年村社能牟良神社他、近隣の20社を合祀。 崇神天皇7年(紀元前91年)の御代に勅命をもって、伊香我色雄命に猿田彦を鎮座せしめられた。伊香我色雄命の子、大水口宿禰の子孫(80代)相継いで神主となり明治に至る。 垂仁天皇御代に皇女倭姫命が御杖代となって天照大御神の鎮座の地を求めて、大和の国から忍山に御遷幸になり、半年御鎮座された。その跡をかしこんで大神を奉斎した。 景行天皇御代に皇子日本武尊は東征に際し、忍山神社に立ち寄られ、神主忍山宿禰の長女弟橘媛を妃とされ、媛は東征に従われ、相模の海が海神の怒りで荒れたため、入水してその怒りを鎮められたと伝承されている。 大正天皇6年10月、鎮座2000年祭が斎行された。毎年10月の例祭には荒魂をなぐさめるため、傘鉾が町内巡行される。昭和27年亀山市指定文化財(無形民俗文化財)に指定。
御祭神
《主》g田比古命,《配》天照皇大神,太玉命,天児屋根命《合》倭姫命,天照皇大神荒魂,大比古命,乙若子命,大若子命,天鈿女命,大山祇命,豊宇賀乃売命,神吾田鹿葦津姫命,饒速日命,大水口宿禰,忍山宿禰,建速須佐之男命,大名牟遅命,伊弉諾神,伊弉冉神,木花開耶姫神,市杵島姫命,菅原道真,伊香我色雄命,
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