大神神社 
   おおみわじんじゃ       
〒633-8538 
奈良県桜井市三輪1422
TEL0744-42-6633
 
由緒

 
神社由緒   

御由緒
当神社の神体山三輪山に鎮り坐す御祭神大物主大神は、世に大国主神(大黒様)の御名で広く知られている国土開拓の神様でありまして、詳しくは倭大物主櫛・魂命と申し上げます。 古典の伝えによりますと、神代の昔少彦名命と協力してこの国土を拓き、農、工、商、すべての産業開発、方除、治病、禁厭(まじない)、造酒、製薬、交通、航海、縁結び等世の中の幸福を増進することを計られました人間生活の守護神であらせられます。 後にこの神様は、御自らの御思召しによりまして、その御魂(幸魂、奇魂)をこの三輪山(三諸の神奈備)に永くお留めになり、それ以来、今日まで三輪山全体を神体山として奉斎しております。 それ故に、神殿を持たない、上代の信仰の形をそのままに今に伝えている我国最古の神社であります。この三輪の地は古く大和の文化の発祥の地で政治、経済、文化の中心地でもありました。 三輪山麓を東西に流れる初瀬川の水路の終点に、日本最古の市場であります海石榴市が八十のちまたとして開け、又、南北に走る日本最古の産業道路である山の辺の道と共にこの三輪の地は交通の要所ともなったのであります。 第十代崇神天皇の御代には文化も全盛を極め、更に中古からは大和国の一の宮となり、二十二社の一つとして上下民衆の厚い信仰を集めてまいりました。 又中世に於ては「三輪流神道」と申します特殊な宗教哲学が生まれ、上古以来の信仰に一つの組織と哲学とを添えることになりました。 この三輪山は昔から倭青垣山、また三諸山、神岳(かみやま)、神山(みわやま)、などと申しまして、円錐型の周囲16粁(4里)、面積350ヘクタール(約百万坪)の秀麗な山であります。 古くから万葉集をはじめ色々な歌集に詠われ、山そのものが神殿であり、神霊がお鎮まりになるという所謂御神体山として崇ばれて参りました。又、古来、このお山の中心をなすものは古杉でありまして、「みわの神杉」と申し大変有名であります。 『枕草子』の中で清少納言が「やしろはすぎの御社、しるしあらむとをかし」と云っておる程ですから、当時は「すぎの御社」と申してこのお山の杉がいかに有名であったかがうかがわれます。 三輪山をしかもかくすか雲だにも心あらなむかくさふべしや(万葉集)いまつくる三輪のはふりの杉社すぎにしことはとはずともよし(金槐集)杉か枝をかすみこむれどみわの山神のしるしはかくれざりけり(千載集)味酒を三輪の祝がいはふ杉手触りし罪か君に遇ひがたき(万葉集)当神社は古来本殿をもちませんので、 自然この拝殿が特に重要視されてまいりました。只今の拝殿は寛文4年に徳川四代将軍家綱公が再建したものでありまして、その技術の優秀なるため重要文化財に指定されております。 この大きさは桁行21米(70尺)、梁行7米(24尺)で正面に5.5米(3間)1面の唐破風造の大向拝がついております。拝殿の内部正面の両側に神饌物を献る御棚が設けられて、うす暗い中に黒い深い光をはなっております。 この拝殿の左右に渡廊下で通じている2つの御殿があります。向って右手の御殿を勅使殿と申し、その昔宮中から勅使がみえた場合、この御殿で休憩いたしたものであります。又向って左側の御殿は、勤番所と申し、 ここで参拝の信者の方々から申出られる御祈祷、御神饌などの受付を致すのでありまして、畳に坐って机をへだてて神職と腹蔵のない信仰の話が出来る様な古い設備が残っているのも、この神社の特色の一つであります。 勅使殿、勤番所共に建立年代は不詳であります。勤番所の東、拝殿の北側にあるのが、神饌所であります。神前におそなえする神饌一切の調理を行う処でありまして明治11年の造営であります。さて拝殿の東、拝殿と禁足地(神体山のうち特に神聖な場所)とを区切る地点、即ち拝殿の奥正面に建っているのが三ツ鳥居であります。 この鳥居は三輪鳥居とも呼ばれ古来当社の特色の一つとされ、又一社の神秘とまで称せられた程神聖視されて来たものでありまして、3箇の明神型鳥居を一体に組合わせた形式であります。 恐らくは中古以来出来上った形式であろうと云われておりますが、現在の鳥居は正面高さ3.6米(1丈2尺)、左右高さ2.6米(8尺7寸)で、昭和33年11月に改修されており、昭和28年に重要文化財に指定されました。 この三ツ鳥居の左右に連る瑞垣をすかして木下やみの禁足地の右手にわずかにうかがわれるのは、校倉造りに準ずる特殊な様式の神庫であります。 創建年月は不詳でありますが当社の神宝類を納めた重要な建物であります。

御祭神
《主》大物主大神、《配》大己貴神、少彦名神




  
  
  
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