由緒 | 祭神・上宮-仲哀天皇、本宮-応神天皇、玉依姫命、神功皇后、気比大神、珎々杵尊。縁起・神功皇后摂政元年、武内宿禰を司として香椎の宮に置かれる所の仲哀天皇の御棺を当長獄山に收めて御陵を築かれたことに始まる…。とある、神功皇后の三韓渡航の間に於ける仲哀天皇假埋葬の地と記してあり、本宮の祭神気比大神は御渡航中の船上に舞い降り来て「我は皇后の国土を守護致します」との神託があり、皇后御歸朝の際当山に於いて報告感謝の祭を挙行され、後121年を経て、仁徳天皇治世十年に平郡宿禰の子博公を神主として、この霊蹟御社を建て気比大神を祀られた由縁であり、本宮の始まりである。気比大神は越前国(現在の福井県)官幣大社気比神宮の祭神でもある。降つて、第43代称徳天皇神護景雲元年、社務(神主)により、八幡宮、聖母宮、宝満宮の三社を勧請され、八幡宮霊驗験著であつたため、社号を宇美八幡宮とした。奈良、平安時代に於いては2月の大神楽、9月19日より25日迄の7日間、みこし三体で深江子負ケ原海浜に神幸し、奉納相撲、流鏑馬等の祭典盛であつたといふ。その後怡土郡中津領十二ケ村の総社として崇敬された。社殿・現在の本殿は宝暦9年、奧平大膳大夫昌邦が建立したものである。境内社・金比羅神社、宮地嶽神社、猿田彦神社、生目神社、両神神社、和多積神社、風神神社 |
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