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詳細情報
神社ID | 622471 | 神社コード | 0 | ||
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神社名 | 六所神社下宮 | フリガナ | ろくしょじんじゃげぐう | ||
通称名 | フリガナ | ||||
郵便番号 | 444-2201 | 鎮座地 | 愛知県豊田市坂上町字地蔵堂23 | ||
氏子地域 | |||||
電話番号 | FAX | 携帯電話 | |||
主な祭典 | 例祭(神送り神事) | 祭典日 | 9月23日に近い日曜日 | ||
特殊神事 | |||||
お知らせ | |||||
旧社格 | 縣社 | 式内社 | 御朱印 | ||
祈祷 | 出張祭 | 神葬祭 | |||
結婚式 | 宝物館 | その他 | |||
宮司名 | (本務/兼務) | 連絡先 | |||
主祭神 | 《主》猿田彦命,事勝国勝長狭神,岐神,《配》日本武尊 | ||||
フリガナ | サルタヒコノミコト コトカツクニカツサノカミ クナドノカミ ヤマトタケルノミコト | ||||
御神徳 | |||||
由緒 | 《松平(徳川)氏の創建》 社伝によれば、永和3年(1377)松平(徳川)氏の始祖松平太郎左衛門親氏が、吉木山(現在の六所山)の山頂に陸奥国一宮鹽竈(しおがま)六所明神を勧請し、松平氏の氏神として、奉祀したことに創まると伝えられています。 《隠居神様》 往古は、吉木山そのものを神体山とし、大山祇神を祀り、産土神として奉拝していましたが、客人神である鹽竈六所明神にその社地を譲り、同じ山頂の東北にある峰に遷り、蜂ヶ峰神社となりました。里人たちが「隠居神様」と呼んでいるのは、この事情を物語っています。 《六所神社の再建奉加帳》 大永7年(1527)12月野火により社殿が全焼しました。この社殿再建のために、松平宗家5代長親(道閲)は嫡子6代信忠と共に、「当社大明神は、当国守護の霊廟、郡村加護の明神なり、就中(なかんずく)、松平一等の氏神、先祖崇敬の霊社なり・・・」と、六所神社造営奉加帳(豊田市指定文化財)を松平一門宛に出しています。 《徳川家康生誕・岡崎城主》 徳川家康が天文11年(1542)12月、岡崎城にて生誕のとき、当六所神社に礼拝がなされたといいます。家康が岡崎城主となった、永禄年間(1558~1569)岡崎城に近い高宮村(現在の岡崎市明大寺町)の六所神社へ、当社の御祭神6柱の内、3柱の神が勧請遷座されました。文化年間「松平家文書」の中に、「六所神社は永禄年中に、高宮村の六所神社へ衣冠束帯(いかんそくたい)の神像3体、地蔵尊3体を遷御した」と記されております。 《徳川家康初穂料を奉献》 慶長7年(1602)家康は、高月院の祖廟参詣の節に、当社へ20石の初穂料を献じています。 《県社に昇格》 明治6年(1873)、六所明神を「六所神社」と改称し、社格を郷社に列せられ、大正11年(1922)9月26日、県社に列せられました。 ◆六所山・鳳来寺山・猿投山と共に三河三霊山の一つと言われ、海抜611mの山頂に六所神社の上宮があります。その山麗の西側に下宮があり、道路を挟んだ境内には、豊田市指定文化財「六所神社舞台」があります。この舞台は、明治5年(1872)に建てられ、明治中期以前の二重仕掛けの構造をよくとどめています。二重仕掛けとは、梁の一部がきれていて、舞台の一部が登場者を載せて上下するものです。舞台の用材には六所山産の杉、桧、栗、モミなどの大木を使用しています。山からの搬出は、近隣の氏子が多数出て、岩角に突き当たって動かなくなると、岩を削っておろしたといわれております。また、舞台の前の芝も当時そのままの芝居見物用のものです。 松平親氏公が永和3年8月19日の勧請にして家康公より高20石給はる大給縫殿頭より祭資料として玄米2石4斗を明治3年迄受く大正11年9月26日縣社に昇格せらる。 『愛知県神社要覧』(愛知県神職会 昭和11(1936)年発行)より抜粋 | ||||
駐車場有無 | △ | 台数 | 5台 | トイレ | 〇 |
記載 | H29/6/6 | ||||
最寄駅 | 豊田市コミュニティバス松平東照宮そだめ線「東宮口」下車徒歩0分 | ||||
名所・名物 | |||||
地図 | |||||
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御影 | |||||