由緒 | 宇陀川の支流本郷川(神戸川)の西岸に鎮座する社を、式内阿紀神社鍬靫にあてられている。「大和志」には神戸明神と称すとあり、「皇太神宮儀式帳」には、宇太阿貴宮というとあり、「倭姫命世紀考」には神戸大神宮と呼んでいる。祭神は今、天照皇大神を主神に、天之手力男命・邇々芸命・秋昆売神・八意思兼命を配祀する外、天水分神・菅原道真公・金山彦神・金山姫神を合祀する。この地は「大神宮詣雑事記」に大和国宇陀神戸15戸」とある神戸の地とみられ、神戸村の名もここからおこり、阿紀神社を神戸大神宮と呼ばれるようになったと考えられる。創祀については、倭姫命の神幸伝承に求める説がある。「皇太神宮儀式帳」「倭姫命世紀」によると、倭姫命が天照皇大神の御霊を奉じて、大和の美和の御諸宮から宇太の阿貴宮、佐々並多宮、伊賀の穴穂宮、阿閇拓殖宮、近江の坂田宮、美濃の伊久良賀波の宮、伊勢の桑名野代官、鈴鹿小山宮、壱志藤方片樋宮、飯野高宮、多気佐々牟SE宮、磯宮、宇治家田上宮等から五十鈴川上に斎き祀ったという。特に「倭姫命世紀」(『大和志料』所収)には大和国宇多の秘志野宮に遷り4ケ年間奉斎とある。延宝9年(1681)開版林宗甫の「和州旧幽考」神戸に「当世宇陀の町より、4・5町坤の方に、俗に皇太神御鎮座の跡とて小社有り。其所の名を神戸といへり。天照太神宇陀の秋宮に四とせいはひ奉るの時、倭国造采女香刀比売地口の御田を奉れり」(倭姫命世紀)と記している。明治以前は、天照皇大神の本地仏である大日如来を安置の大日堂が当社境内にあったが、「神社調査書」によると、明治初年の神仏分離の時、大日堂は迫間の天香久山天益寺に移されたという。(注)文中のSEは「施」の造りに「しんにゅう」です |
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