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神社検索(山口)

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 単語例:郵便番号・住所・神社名・御神徳・御祭神 等

基本システム制作:皇學館大学現代日本社会学部神社検索システム研究会
エルネットワーク(株)
主催者:現代日本社会学部教授 新田均  顧問:落合直人
問合せ先: 神社史研究会 副会長:落合直人

検索結果

詳細情報

神社ID/コード69747012 画像収集中
神社名/通称豊功神社
(ふりがな)とよことじんじゃ
郵便番号752-0984鎮座地山口県下関市長府宮崎町4番1号
氏子地域
電話番号083-246-0124FAX083-246-0124携帯電話
主な祭典祭典日
特殊神事
お知らせ
旧社格式内社御朱印
祈祷出張祭神葬祭
結婚式宝物館要助勤(月日)
宮司名(本務/兼務)連絡先
主祭神《主》穂田元清、毛利秀元、毛利光広、毛利綱元、毛利元朝、毛利元矩、毛利匡広、毛利師就、毛利匡敬、毛利匡満、毛利匡芳、毛利元義、毛利元運、毛利元周、毛利元敏、《配》応神天皇、武内宿禰、大国主命
フリガナ
御神徳
由緒豊功神社は神話伝説の島として知られる満珠・干珠の2島を展望する絶景の此の地に鎮座する旧県社で、祭神は応神天皇・武内宿祢・穂田元清・毛利秀元をはじめ長府藩歴代の藩公を祀る。古くより櫛崎八幡宮の鎮座地であることが文書にも見えるが、慶長7年(1602)秀元公が当地に城を構えるにあたり、毛利氏の守護神宮崎八幡宮を安芸国より勧請して中殿に祀り左に櫛崎八幡宮を遷し、右に高良大明神を祀って宮崎八幡宮と称し、のちに松崎八幡宮と改称した。天保5年(1834)毛利秀元公の霊祠に豊功大明神の称号が許され、慶応2年(1866)豊功霊神をはじめとする霊社が忌宮神社境内に創建されて豊神社と名づけられ、明治10年豊功神社と改称。大正6年松崎神社と合祀し此の地に移遷。昭和44年火災により社殿焼失す。昭和57年8月より境内の環境整備を進め境内社、大国神社・串崎稲荷社・秋葉社を建立。昭和61年本殿を再建し中殿に豊功神社、左に松崎八幡宮、右に大国神社を祀る。海岸一帯を展望台小公園としてその景観を提供。元旦は初日の出を拝む人々で賑わい、野外活動の場として知られつつある。付近には史蹟も多く串崎城跡、毛利藩校(現豊浦高校)、毛利水軍々船修理ドック跡など歴史の町長府の古いおもかげを偲ぶことができる。
駐車場有無台数トイレ
記載
最寄駅
名所・名物
地図
HP(主)神社写真/HP(副)
                            御影
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