由緒 | 豊功神社は神話伝説の島として知られる満珠・干珠の2島を展望する絶景の此の地に鎮座する旧県社で、祭神は応神天皇・武内宿祢・穂田元清・毛利秀元をはじめ長府藩歴代の藩公を祀る。古くより櫛崎八幡宮の鎮座地であることが文書にも見えるが、慶長7年(1602)秀元公が当地に城を構えるにあたり、毛利氏の守護神宮崎八幡宮を安芸国より勧請して中殿に祀り左に櫛崎八幡宮を遷し、右に高良大明神を祀って宮崎八幡宮と称し、のちに松崎八幡宮と改称した。天保5年(1834)毛利秀元公の霊祠に豊功大明神の称号が許され、慶応2年(1866)豊功霊神をはじめとする霊社が忌宮神社境内に創建されて豊神社と名づけられ、明治10年豊功神社と改称。大正6年松崎神社と合祀し此の地に移遷。昭和44年火災により社殿焼失す。昭和57年8月より境内の環境整備を進め境内社、大国神社・串崎稲荷社・秋葉社を建立。昭和61年本殿を再建し中殿に豊功神社、左に松崎八幡宮、右に大国神社を祀る。海岸一帯を展望台小公園としてその景観を提供。元旦は初日の出を拝む人々で賑わい、野外活動の場として知られつつある。付近には史蹟も多く串崎城跡、毛利藩校(現豊浦高校)、毛利水軍々船修理ドック跡など歴史の町長府の古いおもかげを偲ぶことができる。 |
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