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神社検索(山口)

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 単語例:郵便番号・住所・神社名・御神徳・御祭神 等

基本システム制作:皇學館大学現代日本社会学部神社検索システム研究会
エルネットワーク(株)
主催者:現代日本社会学部教授 新田均  顧問:落合直人
問合せ先: 神社史研究会 副会長:落合直人

検索結果

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神社ID/コード69588048 画像収集中
神社名/通称八幡宮阿川八幡宮
(ふりがな)はちまんぐうあがわはちまんぐう
郵便番号759-5241鎮座地山口県下関市豊北町大字阿川3710番地
氏子地域
電話番号FAX携帯電話
主な祭典祭典日
特殊神事
お知らせ
旧社格式内社御朱印
祈祷出張祭神葬祭
結婚式宝物館要助勤(月日)
宮司名(本務/兼務)連絡先
主祭神《主》仲哀天皇、応神天皇、神功皇后
フリガナ
御神徳
由緒此の村は中世から海上交通・産業安定の地として知られ、村の開発とともに沖田の現在地に八幡宮が勧請された。領主は鎌倉末期から阿川氏三家が代々あり、後に大内氏・毛利氏の崇敬があった。社家には伊藤家(旧姓今川)と静間家があり名夫による宮座があった。宮座は七人衆・十二人衆と呼ばれ、御神事に供奉し、正月には歩射を勤めた。後には警護と称し、土井の衆が神饌の調理や神役を勤めた。神輿は古くから浦の衆がかついだ。現在の祭組に花前がある。弘長と応永の年に社殿再建の棟札があったと伝えられ、後に慶長18年に毛利元鎮・元包(後に吉敷毛利)が再建し、万治2年に毛利就方、寛保2年に毛利広規、弘仁2年に毛利親倫(いづれも阿川毛利)が重修した。又、明治17年に現拝殿を再建した。吉敷・阿川両毛利氏が崇敬を重ね、例祭には名代が参篭した。特に一門の大事には願文を奉り、鳥居・鎧・太刀・額・社領等を寄進した。又、領民は雨乞・虫除け等には御神幸を行い、二百十日・田植等にはお篭りを行った。例祭や願成就には歌舞伎・角力・操芝居・腰輪踊等が奉納された。
駐車場有無台数トイレ
記載
最寄駅
名所・名物
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                            御影
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