検索結果
詳細情報
神社ID/コード | 6958 | 8048 | |||
---|---|---|---|---|---|
神社名/通称 | 八幡宮 | 阿川八幡宮 | |||
(ふりがな) | はちまんぐう | あがわはちまんぐう | |||
郵便番号 | 759-5241 | 鎮座地 | 山口県下関市豊北町大字阿川3710番地 | ||
氏子地域 | |||||
電話番号 | FAX | 携帯電話 | |||
主な祭典 | 祭典日 | ||||
特殊神事 | |||||
お知らせ | |||||
旧社格 | 式内社 | 御朱印 | |||
祈祷 | 出張祭 | 神葬祭 | |||
結婚式 | 宝物館 | 要助勤(月日) | |||
宮司名 | (本務/兼務) | 連絡先 | |||
主祭神 | 《主》仲哀天皇、応神天皇、神功皇后 | ||||
フリガナ | |||||
御神徳 | |||||
由緒 | 此の村は中世から海上交通・産業安定の地として知られ、村の開発とともに沖田の現在地に八幡宮が勧請された。領主は鎌倉末期から阿川氏三家が代々あり、後に大内氏・毛利氏の崇敬があった。社家には伊藤家(旧姓今川)と静間家があり名夫による宮座があった。宮座は七人衆・十二人衆と呼ばれ、御神事に供奉し、正月には歩射を勤めた。後には警護と称し、土井の衆が神饌の調理や神役を勤めた。神輿は古くから浦の衆がかついだ。現在の祭組に花前がある。弘長と応永の年に社殿再建の棟札があったと伝えられ、後に慶長18年に毛利元鎮・元包(後に吉敷毛利)が再建し、万治2年に毛利就方、寛保2年に毛利広規、弘仁2年に毛利親倫(いづれも阿川毛利)が重修した。又、明治17年に現拝殿を再建した。吉敷・阿川両毛利氏が崇敬を重ね、例祭には名代が参篭した。特に一門の大事には願文を奉り、鳥居・鎧・太刀・額・社領等を寄進した。又、領民は雨乞・虫除け等には御神幸を行い、二百十日・田植等にはお篭りを行った。例祭や願成就には歌舞伎・角力・操芝居・腰輪踊等が奉納された。 | ||||
駐車場有無 | 台数 | トイレ | |||
記載 | |||||
最寄駅 | |||||
名所・名物 | |||||
地図 | |||||
HP(主) | 神社写真/HP(副) | ||||
御影 | |||||