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神社検索(山口)

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基本システム制作:皇學館大学現代日本社会学部神社検索システム研究会
エルネットワーク(株)
主催者:現代日本社会学部教授 新田均  顧問:落合直人
問合せ先: 神社史研究会 副会長:落合直人

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神社ID/コード69436050 画像収集中
神社名/通称鴨神社
(ふりがな)かもじんじゃ
郵便番号757-0001鎮座地山口県山陽小野田市大字厚狭842番地
氏子地域
電話番号FAX携帯電話
主な祭典祭典日
特殊神事
お知らせ
旧社格式内社御朱印
祈祷出張祭神葬祭
結婚式宝物館要助勤(月日)
宮司名(本務/兼務)連絡先
主祭神《主》鴨建角身命、玉依姫命、鴨別雷、素戔嗚大神、大穴持神、天穂日命、大山咋命、神日本磐余彦命
フリガナ
御神徳
由緒推古天皇22年、(618年頃)百濟国聖明王第3の御子、琳聖太子(山口大内家の元祖)が天皇に御対面の為都に上られた。御母皇后(聖明王の后妃)は愛憐の餘り太子の御跡を慕われ大和の朝廷に向けて船出された。同年乙亥4月中午日、長門国白江の浦(梶浦)で御船の揖が折れたので、そこの川辺を伝い登られると、水際に巌(皇后石ー現御旅所)があったので、そこでお休みになった。麻わらしべを積んで、仮の菴りを造って一夜を明かされた。夜が明けて見ると召された御履が見あたらないので、お供の者に尋ねさせると、川上の野中(沓)にあった。それでそこに、御殿を造られ、都の太子とは年毎に音信されたが、会うことかなわず、舒明天皇3年6月崩御された。(沓の田の中に陵がある。)大同3年4月、(808年頃)白鴨が2羽飛んで来て、社の中に入り、「神号」がないとお供の人に「おつげ」があり、大内氏に言上して、京都に申登され、勅許の上、下鴨は梨木家(上鴨は鳥居家)によって、同年七月沓の里に奉幣し、鎮座された。爾来今日まで1180余になる。
駐車場有無台数トイレ
記載
最寄駅
名所・名物
地図
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                            御影
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