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詳細情報
神社ID/コード | 6943 | 6050 | |||
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神社名/通称 | 鴨神社 | ||||
(ふりがな) | かもじんじゃ | ||||
郵便番号 | 757-0001 | 鎮座地 | 山口県山陽小野田市大字厚狭842番地 | ||
氏子地域 | |||||
電話番号 | FAX | 携帯電話 | |||
主な祭典 | 祭典日 | ||||
特殊神事 | |||||
お知らせ | |||||
旧社格 | 式内社 | 御朱印 | |||
祈祷 | 出張祭 | 神葬祭 | |||
結婚式 | 宝物館 | 要助勤(月日) | |||
宮司名 | (本務/兼務) | 連絡先 | |||
主祭神 | 《主》鴨建角身命、玉依姫命、鴨別雷、素戔嗚大神、大穴持神、天穂日命、大山咋命、神日本磐余彦命 | ||||
フリガナ | |||||
御神徳 | |||||
由緒 | 推古天皇22年、(618年頃)百濟国聖明王第3の御子、琳聖太子(山口大内家の元祖)が天皇に御対面の為都に上られた。御母皇后(聖明王の后妃)は愛憐の餘り太子の御跡を慕われ大和の朝廷に向けて船出された。同年乙亥4月中午日、長門国白江の浦(梶浦)で御船の揖が折れたので、そこの川辺を伝い登られると、水際に巌(皇后石ー現御旅所)があったので、そこでお休みになった。麻わらしべを積んで、仮の菴りを造って一夜を明かされた。夜が明けて見ると召された御履が見あたらないので、お供の者に尋ねさせると、川上の野中(沓)にあった。それでそこに、御殿を造られ、都の太子とは年毎に音信されたが、会うことかなわず、舒明天皇3年6月崩御された。(沓の田の中に陵がある。)大同3年4月、(808年頃)白鴨が2羽飛んで来て、社の中に入り、「神号」がないとお供の人に「おつげ」があり、大内氏に言上して、京都に申登され、勅許の上、下鴨は梨木家(上鴨は鳥居家)によって、同年七月沓の里に奉幣し、鎮座された。爾来今日まで1180余になる。 | ||||
駐車場有無 | 台数 | トイレ | |||
記載 | |||||
最寄駅 | |||||
名所・名物 | |||||
地図 | |||||
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御影 | |||||