由緒 | 当社は、吉敷郡小郡町に鎮座しており、応神天皇、仲哀天皇、神功皇后をお祀りしている、例祭は9月14、15日、本八幡宮の鎮座年月日ははっきりしないが、足利時代、防長、石見の守護職であった大内氏の鎮守として社領も当時として20石もゆうしたことをおもへば、おおきいお社であったことは瞭然としております。そのむかし大内弘貞公が九州宇佐よりかんじょうしたもので、そのさい宇佐葛原村ざいじゅうの葛原氏が供奉役として本地居住して神事に従し、私どもそせんうじこ代々のちんじゅの、みやしろとして、にちやごかごを、うけております、そのご毛利氏となり毛利輝元公が防長二州へいりぐちのため、海路小郡湾入り蟹ケ淵に着船陸路山口に至る途中当社に立ち寄り、武運長久をきがんしたもので上郷にきょじゅうする氏子はもちろん、多くの人々の守り神でありました、なおとうしゃの楼門は竹田番匠のさくによるもので近郷にない偉観であって、くにの特別保護建造物のしていをしたやさき、明治45年4月17日よる、かさいによって鳥有に帰しましたことはざんねんしごくなことであります、大正のはじめ上郷中の総氏子諸人等の協力一致のたまものと神の御かごによって、さいけんせられ、きょうりのおんしゃとしてげんざいにおよんでおります。 |
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