由緒 | 一、御祭神 譽田別命(応神天皇)気長足姫皇后(神功皇后)奥津嶋比賣命、市寸嶋姫命、多紀津姫命-(三女神) 一、創立・由緒 御創建は宇多天皇の寛平3年(西暦891)佐々木徳寿丸が全国八幡宮の総本社鎮西宇佐神宮に参籠皇祚延長・天下泰平・国家安全・五穀成就・惣民豊楽を奉祈したる御神璽を供奉し、八筈岳中程の伊勢山に鎮祭し創祀とす。その後、六四三年を経た後奈良天皇の天文2年(西暦1533)八幡宮の御神璽が現在の社地鈴寳山の大岩上に御飛座の神変出現したが為久満佐渡左衛門慰重友が寳殿を建立し移祭した。157年を経た元禄3年(西暦1690)社殿焼上す。元禄7年(西暦1694)御神殿を再建、天明5年(西暦1785)幣殿・拝殿を再建し、今日に至る。 一、神態 腰輪踊 明應2年(西暦1493)征夷大将軍、足利義稙・畠山義豊・細川政元と河内の正覚寺に戦い敗走して当地に下り、再び大将軍たらんと当宮に参り戦勝祈願のため鐘・太鼓を撃たらしめ舞踊らしむその時より今に至まで俗に鐘踊と唱え毎年例祭にはこれを執行し神意を慰め奉るものである。 一、古跡 八幡宮古跡は伊勢山と唱え八筈岳の山腹にあり境内には石垣・石壇・鳥居・燈籠・石の鎮神堂もあり、又、天より岩山に鎌降り其の名を鎌降石と唱ふ大岩重なりて其の間に霊松あり(現在は枯木)依りて其の鎌を神璽とし、鎌八幡と唱え奉り一社堂ありしも天保11年御神霊を八幡宮末社真尾鎮座大歳神社へ御相殿とした。 一、宝物 八幡縁起弍巻 明暦4年(西暦1658)奉納、神功皇后三韓征討并に筑紫に凱旋して皇子御誕生八幡宮御神号の由縁・筑前箱崎八幡宮御鎮祭の由縁・同所逆松の由縁・譽田別命、3歳の児童と顕れ神勅を告げられし由縁・京都男山八幡宮御分霊の次第・宇佐八幡宮へ和気清麻呂直言の事等種々記載の縁起 大鈴 此の地に天より降りしものと伝ふ、平円くして恰も神代の物の如し之に依り地名を鈴屋と言ふ降りし跡鈴ヶ森と唱え今も残存せり 太鼓 慶長16年(西暦1611)旧領主毛利氏より奉納豊臣秀吉公朝鮮征討の時の陣太鼓たりしと云う。 一、例祭日 歳旦祭 1月1日 節分祭 2月節分の日 祈年祭(春祭) 5月15日 例大祭(秋祭) 旧暦8月15日に近い日曜日 新嘗祭(新穀感謝祭) 12月3日 |
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