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詳細情報
神社ID/コード | 6861 | 3089 | |||
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神社名/通称 | 山﨑八幡宮 | 八幡さま | |||
(ふりがな) | やまさきはちまんぐう | はちまんさま | |||
郵便番号 | 746-0017 | 鎮座地 | 山口県周南市宮の前1丁目2444番1 | ||
氏子地域 | |||||
電話番号 | 0834-63-2550 | FAX | 0834-64-1299 | 携帯電話 | |
主な祭典 | 祭典日 | ||||
特殊神事 | |||||
お知らせ | |||||
旧社格 | 式内社 | 御朱印 | |||
祈祷 | 出張祭 | 神葬祭 | |||
結婚式 | 宝物館 | 要助勤(月日) | |||
宮司名 | (本務/兼務) | 連絡先 | |||
主祭神 | 《主》応神天皇、《配》田心姫命、湍津姫命、市杵島姫命、神功皇后 | ||||
フリガナ | |||||
御神徳 | |||||
由緒 | 和銅2年(709)8月豊前国宇佐より御分霊を新南陽市富田の河内にある神室山に祀り宝亀元年(770)11月山崎の地に御遷座になる最初江宮と称し後に神仏習合の時壮寺八幡宮と改称する。やがて明治維新を迎えるにあたり元治元年(1864)山崎八幡宮と御社名を改める。その間、平安時代大同元年(806)と宝暦7年(1757)の2度の火災で御社殿、宝物、古文書等全て焼失し現御社殿は明治初期に御造営されたものである。当社は古来より領主、藩主、の崇敬篤く大内時代天文8年(1539)領主陶弘護、陶隆房は神前に扁額を寄進し祈願している。江戸時代には毛利歴代藩主の御祈願所として藩主の社参、代参がたびたびなされ深く崇敬されていた。秋祭りには連歌の献詠や流鏑馬等も行われるなど古文書や記録が残っている。藩政治代には徳山藩内の2大崇敬社として東は遠石八幡宮(武の神)西は山崎八幡宮(文の神)として広く徳山市周辺はもとより防府市野島、大津島、黒髪島など一円の氏神として広く一般から信仰された古社である。 | ||||
駐車場有無 | 台数 | トイレ | |||
記載 | |||||
最寄駅 | |||||
名所・名物 | |||||
地図 | |||||
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御影 | |||||