由緒 | 御祭神 譽田別尊(応神天皇)気長足姫尊(神功皇后 )足仲彦尊(仲哀天皇)比賣大神 高松八幡宮は、八幡宮信仰の隆盛に多大な影響を与え、俗に、「八幡、京に上る」と云われた。京都、石清水八幡宮創祀の26年後、つまり人皇五十八代、光孝天皇仁和3年(887)八幡宮の本宗である、豊前国一ノ宮宇佐八幡宮よりご勧請された。以来、国主尊崇の社として後土御内天皇文明17年(1485)には、大内政弘公より神殿、幣殿、回廊等が寄進された。江戸時代に入り、正徳、享保年間の頃より明治初年まで上関宰判の勘場が当地米出にあったこともあり、郡内の祈願所として、五穀豊穣、祈雨、止雨、武運長久等の祈願祭を執行し、代官、庄屋等の参拝が度重なった。明治6年9月郷社に列せられ大正十三年には社殿が再建された。当宮には、特殊な神事として旧大晦日の水御試神事(1年間の雨水の多少を占うもの)と節分に行われる五穀御試神事(五穀をはじめ、豊作物の吉凶を占うもの)があり、古くは近郷近在とりわけ、日積、伊陸、高森方面からの参拝者で賑ったものである。又、当社は創建以来麻郷、麻里府、伊保木三村の総鎮守、氏神として崇敬されてきたが、寛政8年(1796)に伊保木村は当宮より御分霊を勧請し磯辺八幡宮を創祀したことにより、その後、麻郷、麻里府両村の氏神社として今日に至っている。 |
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