由緒 | 阿月神明祭は、県下における左義長行事のもっとも大きく盛んなものとして、県の無形文化財に指定されている。この祭りの由来は、宮中に起源をもつ左義長が神明信仰に習合して神明祭りとなり、それが更に小早川氏の軍神祭と習合したものである。阿月では、左義長を神明、又は神明様と呼び、祭りの時には東西両地区の海岸に刀をかたどった高さ25メートルの御神体を一基ずつ作り、祭りの日の早朝から身を清めた白装束の若衆(裸ん坊)たちが長持ちじょうげをかついで、お宮に集り、ほら貝を合図に神明の起こし立てにかかります。張り綱やはしごに支えられ、浜をきって立ち上がる光景は祭事の中で最も男性的な景観です。起こし立てが終わると、その1年間に結婚した男子を祝うといって、裸ん坊を海へ投げ込みます。神明踊りは昼夜御神体のまわりを音頭、太鼓に合せて踊り回るもので、男子は槍、刀などの武器をもって武者踊りをし、女子は笠踊りをします。夜の踊りが終わると、はやしの神事が行われ、御神体に火がつけられると、たちまち40メートル余りの火柱は天を焦がし、火の粉は夜空に舞い上がり、やがて御神体は海へ倒され神事は終わりを告げます。祭事は旧暦1月15日であったものが、現在では2月11日に変更されています。 |
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