由緒 | 崇竣天皇元年秋、霧の空に怪しき光りあり。その光り速稲の実りし田に天降り、宗形の大神顕わる。今より後この里の民を守らんと垂示あり。人々大いに喜びて此の所に祠を建て、大神を斎る。また大神速稲を抜きて給えば晴れ渡り、是より後、秋には3度の霧は掛からずと伝えり。この村を明村又は赤村、社を速田大明神又赤田社とも称す。推古天皇五年厳島の大神の島の米を送れとの垂示あり。当社に島人来り。此ありて速田の大神と、厳島の大神の同神なるを知り、是よりのち祭日を、旧6月17日に定む(明治43年氏子協議の上新8月2日に変更。今だ夏祭りを十七夜と言う)。旧正月元旦、同9月9日烏喰神事、7年に1度神衣祭、山神祭を行う。万治3年毛利綱広公社殿を再建。享保6年9月正一位。安永2年黄幡の地に遷祀。寛政4年12月20日民家より出火類焼、同6年6月旧社地藤木に遷祀せらる。明治2年10月拝殿改築、同3年速田神社と改称、同6年村社に列す。同41年7月相殿八幡宮旧社地字林に移築遷祀。昭和12年弊、拝殿改築あり同16年竣工。相殿八幡宮は、寛仁2年6月山城男山より勧請。当社は山代六郷に八幡宮、七畑に河内神社あり。その内の1社なり。山代旧記に詳なり。享保6年正一位、天2年8月社殿風損、同3年6月23日建替す。明治5年1村1社の御状により、同6年10月速田神社へ合祀。境内神社(大山祇神、罔象女神、国常立神)長和2年1月6日勧請。(元字笹尾に鎮座河内神社)現在速田神社に合祀。 |
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